ヒット・エンド・ラン Hit and Run

Apple-たそがれ CGにて加筆中

阪神甲子園球場での夏の高校野球見る時間もラジオで聴く時間もないのでつい結果にも関心が薄くなってしまいましたがふとニュースの中で「ヒットエンドラン」という言葉が耳に入りました高校野球のことかなとちょっと耳をそばだてるとウクライナ戦争でのアメリカが供与したハイマース(高機動ロケット砲システム)のことでした

反転攻勢で攻めあぐねているウクライナ軍でもっとも活躍している兵器らしいのですが驚いたことに “損失が確認されていない” という話題でしたつまり一基も失われていないということ鳴り物入りでウクライナ入りした戦車レオパルド2でさえすでに何両か失われたと報告されています相手がただボーっと突っ立っているのでもない限りどんな優秀な兵器でも多少は損害が出るものです相手だって最新兵器で戦っているのですから損失ゼロというのは信じ難いことです

いわゆる“大本営発表” かと思うとそうでもないらしいのですその理由は「ヒットエンドラン」野球とはちょっと違うけれど「撃ったらすぐ走る(逃げる)」という戦法が“損失ゼロ” の主な理由なのだそうですハイマースはタイヤで走るいわゆるトラック型の発射台に載せたGPS誘導のロケット弾システムです道路がないと走れないというマイナス面がある反面現場についてからGPSで目標位置を確認するまでに30秒、2発目を発射してから台をもとの位置に戻して移動できるまでに30秒つまり攻撃から撤退まで約1分しかかからないといいます。2発目から装填に少し時間がかかりますが、4発発射しても3分で撤退できるそうですロシア軍がハイマースの発射位置を確認するまでに最短でも90秒以上かかりそこへ砲弾なりミサイルなりを撃ち返す準備ができるまでにさらに数分その間に台車は最高時速85キロのスピードでその場所を離脱できるので反撃を免れることができるのだそうですまさにヒットエンドラン兵士の安心感も大きいでしょうその上に徹底した収納場所の情報秘匿が噛み合っての“損失ゼロ” なのだとか以上すべてネット上で見た限りですが

大砲で撃ちあうなんて第一次世界大戦並みの“古めかしい戦い” などと一方で言われてきましたがそれを聞くとさすがに現代の戦争です撃った位置にたちどころに撃ち返されるなんて逃げ足の速さが勝敗を分ける同じようにウクライナ軍に供与された各種の「榴弾砲(自走も含む)」が相当数破壊(当然その場の人的損失も出る)されているのもその逃げ足が遅いためなのだとかその数分間がまさに生死を分けているのですね
 不謹慎ですが自分のスピード感覚が時代に遅れていることも感じました

手 Hands

8/12(土)アップロードしました

毎日手を使って生活しているのが当たり前でわたしだけでなくほとんどの人が「いま手を使っているぞ」などとは意識しないでしょう意識するのは怪我や病気などで一時的に使えなくなるときくらいあるいは楽器演奏などで譜面通りに指動かすことができないもどかしさ工作などであと一本指があれば!とか思うときくらいでしょう

手は便利というよりかけがえのないものでこれが人間を他の動物と隔てる壁になっているようです手が「手」になっているのは人間と「類人猿」だけです。אבל、それ以外の動物もきっと「『手』が欲しい」とは思ってもいないしそれで満足しているはずです人間だけが手の便利さを知っているから手が失われたときそれを補うための道具を考えそして何より「作れる」のですさすがに「類人猿」でもそれはできません

それが「文化」「文明」の力なのでしょう思想や技術の蓄積つまりは歴史人間だけが「歴史」を持っていると言えば一瞬そんなことはないと感じるかもしれません。למה אנשים לומדים、どんな恐竜がどの時代に生きていたかを人間が作った物差しの中で照らしてみることができるのは人間だけだと理解すれば意味は伝わるでしょう恐竜の骨はたんに「物」であるだけでそれ自体は「歴史」ではないからです恐竜学者が新しい骨の発掘にワクワクするのは人類の「新しい歴史」を自分が創っているからです

もしもわたしたちに手がなければすべては「お手上げ」状態で食事さえままなりませんうまく鳥を捕まえたとしてもワニのように丸呑みするか脚で抑えて口で翅をむしり何より「生きたまま」食べなければなりませんあるいは屍肉かほとんどの野生動物がそうしているようにあるいは植物の実や葉を求めて季節ごとに移動しなければ餓死してしまいます(しかも歩いて)魚など食べることはほぼ一生できないでしょう。וזה、歴史を持たないまま絶滅します
 最近手の指がだんだん曲がったままこわばるようになりことさら手のことを考えるようになりました

情報

「ワイン瓶とパン」水彩  ―ここは井戸のど真ん中だ―

関東地方は今日は東京・大手町と埼玉県熊谷市以外は猛暑日ではなかったようですが今日もほぼそれに近い気温でしたそれでも立秋を過ぎたという気持のせいかなんとなく夜の気温が過ごしやすくなった(ような)気がします(最低気温24℃なんですけど)こういう気象情報はすべての事象に目に見えて関係するので誰にとっても価値のある情報だといえるでしょう(こじつけ感ありありですね(>_<))。

情報がないというのも一つの情報であるようにすべての物は情報化しますただし一般論としてそれは誰かにとっては(きっと)意味があるに違いないというほどの意味です逆に言えば「自分にとって価値の無いものは情報ではない」ということの裏返しだとも言えるでしょう
 漁師や釣り人にとって潮のあるなしは大きな情報ですが農家の人にとってはほぼ無価値でしょうしマスクをしなくなって口紅が急に売れ出したとかは女性にとって興味ある情報でもおじさんおじいさんにとっては“意外にも” ということはあまりなさそうだという風に

知らなければ知らないままで済んだのに知ったばかりに大きな負担になる情報もあれば知ることで大きなアドバンテージになる情報もあるでしょう戦争(競争でも)では相手が欲しそうな情報を魚釣りの針のように相手に投げ与えるフェイク情報もばらまかれて油断ができません情報を嗅ぎ分けるための情報もそれを知るための情報も情報の山の中から選びださなくてはなりませんアナログな忍耐力もきっと必要な能力です

「井の中の蛙」という言葉は自分にだんだんよく当てはまるようになってきたと感じます知らなければ知らないままでも不都合を感じなくなってきた、זה אומר。無風の「井の中」がだんだん居心地良くなってきたのです井戸から出て自分に必要な情報をさえ集めるのがだんだん億劫になってきています自然に落ちてくる情報だけで満足できるようになってきたのですねそう遠くないうちに(幸福なことに)いつしかそこが天国だと信じたまま土に埋もれていくのだろうと思います