明るい高慢さ

「Apple-丘の眺め」テンペラ  2004年

ポジティブ思考(嗜好かも)が多くの人の深いところに沈潜してことあるごとに顔を出しては人を痛めつけることがあるわたし自身の中にもすっかり入り込んでいて何か落ち込むようなことがあると、בְּלִי מֵשִׂים、「元気出さなきゃ」なんて無理してしまう

いつもいつも明るく朗らかで何にでも前向き落ち込むこともなく周りまで明るくする人そんな太陽みたいな人がかつてのテレビや漫画の主人公だったけれどさすがに現代では、אדם טיפש כזה כבר לא יכול להפוך לדמות הראשית。

ילדים חייבים לחלום בגדול。אנשים צעירים חייבים לקחת טיסה לעולם עם אידיאלים גבוהים。מְרוּשָׁל、נראה שהוא מרוצה מעצמו, ואומר בגאווה בפומבי שהוא זבל (גבר)、הייתה תקופה נוראית、האם עידן זה כבר נחלת העבר?。זה דבר מיותר לעשות、אני תוהה אם אנחנו בעידן בו אנו יכולים לומר את זה。זה לא נכון。כי הייתה תקופה שחשבתי כך、אני יודע שעדיין יש לי את התחושה הזו איפשהו בליבי。

כילד、בכל פעם שצפיתי בטלוויזיה, הופתעתי ותהיתי, "למה העם האמריקני כל כך בהיר?"。לא היה מישהו סביבי ככה、כל המבוגרים והילדים מלאים באנרגיה בטלוויזיה.、נראה חופשי、והוא נישק את כולם זמן מה (אגב, אני לא זוכר שראיתי את סצנות הנשיקה של אנשים שחורים).。
הבהירות כמו האור החשמלי ההוא、הדמוקרטיה קשורה איפשהו、חשבתי כך、זה לא היה。בהירות חיובית זו הייתה גם יהירות.。עמדת ארה"ב במלחמות אוקראינה וישראליות מראה זאת。
אתה רק צריך להיות חזק כדי שלא תפסיד、אתה צריך פשוט להיות עשיר ולא להיות קמצני、金持ちになれないのは努力が足りないからよそう言って影と日なたを二分してきた人々の国あの明るさに憧れてきたんだなあと今さらに思うよ

「ぐるる」体育施設場・秋」水彩 コットン紙、F4

だいぶ秋めいてきた月曜朝、הדרך להובלת עבודות לגלריות בגינזה, טוקיו、הר פוג'י מכוסה בשלג מהמעבר。כבר לבן עד התחנה השביעית。באותה תקופה、מדברים על זה、אני זוכר שכבר היו דיווחים על "השלג הראשון בשטח שטוח בהוקאידו."。

התחממות אקלים。כילד、青森県でも10月半ばが最初の霰(あられ)その後数回の霰を経て「初雪」すぐ溶けるがそんなことを数回繰り返して本格的な降雪根雪になって春まで残る

雪が降ってくるとわたしの五感はざわめき外に出たくてうずうずしてくる「雪の風景」の中にいるのが「好き」雪の色も好きのんのんと雪を降らし続ける灰青色の空とそこからぴゅうぴゅうと手裏剣のように降ってくる雪花びらが舞うようにゆっくりくるくると回りながら落ちてくる雪まるで粉のように乾ききってパサパサと払えば落ちる雪それらはみんな別々の色をしているんだよ知ってる?

למה אנשים לומדים、気がつけばここは埼玉県気象的にはっきりと分かる季節変化は小さいぶん逆に言えば季節感の変化に鈍感な人には「微妙過ぎて難しい地域」なんですよね埼玉県人って季節の「微妙な」ニュアンスの違いを見分ける力を平均すれば日本一いや「世界一」かも知れませんよそんな埼玉の「微妙な」「秋→冬」ですOK?—明日は銀座へ行く予定です

13יוֹם שִׁישִׁי

「うみのそら」(習作) 2001

今日は13日の金曜日キリスト教国では不吉な日らしいがユダヤ教のイスラエルではたぶん関係ないのだろうイスラエルとハマスの戦い(装備等の差から考えれば “戦い” にならないだろう)に心が痛い自分のかなりひどい腰痛も鎮痛剤のおかげでだんだん歩けるようになってきた気持ちに少しだけ余裕が出来てこの争いに目を向けている

日本で一般的に見る報道ではほぼ「ハマスが一方的に攻撃をしかけ」「イスラエルの民間人に多数の犠牲」「イスラエルには報復する権利があるアメリカは武器も支援」などと報道されているガザからの視点報道もあるにはあるがマイナーな扱い方だ

「殴ったやつが悪い」のは確かだ。למה אנשים לומדים、なぜ殴ったのかその理由を問わないのは論理的ではない結果には必ず原因・理由がある
 ガザというイスラエルが一方的に(今回の報道では “一方的” のオンパレードだ)作ったいわゆる「天井のない監獄」を(日本も含む)世界が容認してきたことに本質的な問題があることは誰の目にも明らかそこに生まれた子どもは生まれた瞬間から終身刑を言い渡されたようなものイスラエルが勝手に作った壁の向こうへ一歩も出られないまま一生をそこで終わらざるを得ない
 あまりに理不尽とも見えるその状況を国際社会は見て見ぬふりをし続けてきた世界の「人権」管理者であるかのようにふるまうアメリカがそれを容認するのもダブルスタンダードと言わざるを得ない中国の人権侵害を非難するアメリカだがアメリカ自身の人権問題には眼をつぶったまま
 殴った理由の大部分はたぶんそこから生まれてくる実際にはガザの人々が攻撃したわけではなくその不満を吸収したハマスによるものだが鬱積した人々の憤りがハマスへの支持になっていることは報道の通りだと思う自分がガザに生まれていたらと想像すれば「報復の権利」の前に「殴る権利」もありそうな気がしてくる

戦争の原因は複合的だどれか一つの理由だけでは始まらない第一次世界大戦も「サラエボの一発」などと形容されるけれどそれは一本のマッチに過ぎないマッチを擦ればすぐ火が点くような状況がすでにそこにできていたからでその状況がなぜできたのかといくつもの「なぜ」を追いかけなくては「2発目、3発目」を防ぐことはできない
 「人の命は大切」と言いながらなぜ銃の引き金を引くのかあるいは引かざるを得ないのか本音とタテマエパワーゲームの前には人の命など何の意味もないことをまざまざと見せつけられている。