תחילת הקיץ

התחל לצייר。אין שום ערובה לכך שההשלמה תהיה טובה יותר מזו.

נייר "תחילת קיץ" צבעי מים פבריאנו (100% כותנה)

אתמול (שבת, 24 ביוני) בוקר、מקדש נייד יוצא מהקבר הקדוש שמול האטלייה、הסתובבתי בעיירה הקטנה。האב הקדמון הנושא תופים על מיניקר、לאחר טיול מהיר מוקדם בבוקר、אנשים צעירים ישאו אותך באנרגיה רבה。צעקות השנה נשמעות לראשונה、חשבתי את זה、אולי מספר האנשים הנושאים אותם שונה。המסורת טובה עם זאת、משהו משתנה לאט לאט、אני חושב שגם זה טוב。

סידור "נוף עם חניה"。קצת כושר המצאה ללבוש מיסוך、ניסיתי לשפשף כמה מהם במברשת。האפקט קצת。

הסיבה שהצבע מעט מטלטל היא שהוא עשוי מנייר כותנה של 100%.、נראה שזה קצת בגלל שהוא "נתפס קר"。"אתה מתקרר"、המשמעות היא ש"נייר מבולבל, הוא מתדרדר בגלל חשיפה ללחות. "、זו מילה שמשמשת לעתים קרובות אנשים שצוברים צבעי מים.。זה לא ספר רישומים ישן、הייתי נזהר איפה הייתי שם את זה。
אם לעיתון יש הצטננות、אני לא יכול לראות את זה מההופעה לפני שצייר。אבל、ברגע שאתה מניח את המברשת שלך? ? אני מרגיש ככה、אחרי שתניח עליו את הצבע、זה יתברר לעיני כולם。אנסה להחזיר את זה、לפרוץ אריזה פרטנית של ספרי רישומים、רישום רישום、זה אחרי ששמתי עליו את הצבע、לא יכול לעשות את זה יותר? ויתרתי על זה、מעולם לא התלוננתי בפני יצרן (חברת מכירות) עד כה.。אבל、זו בעיה של בקרת איכות של היצרן או הקמעונאי.、זו לא טעות של סופר、אני חושב שיש לשפר אותו באופן שמספק ביום אחד.。הכותב שנא אותי ל"קר "、שני יצרנים גלובליים פשטו את הרגל,נראה שיש שלושה。
הגעתי לנושא。הדבר שרציתי לצייר בתמונה הזו היה מכונית.。זה לא קשור למודל רכב מסוים、המשמעות היא שהם רצו לכלול את מצבה הנוכחי של אגודת הרכב בנוף.。בעידן המודרני, מבטנו בסביבה הגלובלית הופך להיות חמור יותר בכל שנה.。נאמר שבסופו של דבר, מכוניות ופולטות CO2 אחרות עלולות להיעלם.、רציתי לצייר את זה עם מבט שובר תקליטים.。אני לא חושב שהמכונית תיעלם לזמן מה。

絵としてはあくまで「初夏」の風情がテーマです車はあくまで点景に過ぎません爽やかな風を絵の中に感じられたらいいなあと思うんですけどね

イカロス「再」墜落

「片腕の男」テンペラ・アキーラ  F6 2010

春から夏へ梅雨という微妙なこの時季皆さんいかがお過ごしでしょうか?活動が制限されたり気分がパッとしないなど雨が鬱陶しいという人は多いようですがわたしは雨は嫌いではありませんなんとなく落ち着いて一日を自分ペースで過ごせるような気がするからでしょうか

雨の日はなぜか写真整理などやってしまいます先日もパソコンの中の写真を整理しているうち「飛ぶ男」などの作品写真や制作中のデータがおびただしいほど出てきました
 「男シリーズ」とでもつけたらいいのか「飛ぶ男」「浮かぶ男」「シェルターの男」などなど「○○の男」というタイトルの作品をたくさん描いてきましたその過程で「少年と犬」「海峡」「イカロス」「○○のヴィーナス」等のシリーズも生まれてきました
 現在進行中の「Apple」もシリーズ化しかかっていますが実はこれはもっとも初期に一度シリーズ化し中断を経て50年近く続いているものです心理的には「男シリーズ」にもずっと繋がっている感覚ですがどういうふうにつながるのか自分でもきちんと整理できていません今から数年のあいだがラストチャンス元気なうちにこれらを何らかのかたちにまとめないともう時間が無いとあらためて思いました

 表題の「イカロス」をちょっとだけ説明しますギリシャ神話に天空の細工師(大工)ダイダロスが息子のイカロスに大空を自由に飛び回れる翅を背中に作ってあげたという話があるそうです「決して太陽には近づくなよ」という父の注意も若く活発なイカロスには馬耳東風結局は太陽に近づきすぎたイカロスの翅のロウが溶けて脱落イカロスは海に落ちて話は終わりですがわたしの発想はそこから始まりました
 イカロスは死んだのでしょうか?おなじく大工の家に生まれたわたしはイカロスをこの21世紀に海から引き揚げわたしが空想で翼を創りなおし(そういえば「僕たちの翼(200号)」という作品も描いたなあ)もう一度空を飛ばせたらどんな風景が彼の心の中に見えるだろうかそれを絵にしてみようと想いましたそれが「飛ぶ男」です
 「飛ぶ男」つまり現代イカロスはおよそ3000年ぶりに「新生」シリーズの何点か(「新生no9」は 2,1×5.4mの大作でした)を経て脱皮し生まれ変わり、19世紀的な都市の上空をすでに飛んでみせました(「飛ぶ男」(200号)大宮市での個展晨春会展等にて発表)次に20世紀の都市の上を飛ぶイカロスを描いていた時東日本大震災が起きわたしは続きが描けなくなってしまいました
 1000号ほどの大きさの絵で天空での大洪水が下界の都市にまで注ぎ込みそこに溺れる人物を300人以上描き込んだところでした洪水と津波の違いはありますがまさに東日本大震災そのままの絵で仮にこの絵を仕上げてもどうせ震災の映像を見て描いたのだろうと思われるだけだという想いとこの時期に絵など描いていていいのかという考えが重なったからでもありましたが物理的にも制作のための時間と場所を失ったからでもありました描きかけの絵は丸めてほぞんしてあるかどうかも今は定かではありませんが制作中の写真が数枚パソコンの中にはあるはずです

パソコンでの写真整理をしながらその未完成の絵を軸に再制作しすべてのシリーズを一枚の絵にまとめることができたら、、わたし自身の最後の作品としてふさわしいだろうと考えていましたわたし自身がイカロスになって再びもとの海に墜落して終わりいいストーリーかもしれないと思っています(笑)
 ※不勉強で最近まで安部公房「飛ぶ男」があることを知りませんでした(未だに未読)。אוי יקירי、どこにでもありそうな題名だなと最初から思ってはいましたが
 ※この絵今朝(06/23)のタイタニック号鑑賞ツアーでの潜水艇タイタンの残骸が発見されたというニュースとかたちのせいかどこか重なって見える気がします

晨春会’23 展を終わって

「庭を見る」テンペラ F6  2010

昨日(2023.06.18)で晨春会展が終わりましたわざわざ時間を取って見に来て下さった皆さん、תודה לך。感謝ですわたし自身もいろいろな方から展覧会の案内状を頂くのですが忙しさだけでなく体調不良などで行けないことも多いので「わざわざ」という言葉を実感を持って感じます。תודה לך。

今日から次のスケジュールに移りますというだけではなんだか殺風景な挨拶ですが実情はそんなところなんです「次のスケジュール」って新作に取り掛かるかのように聞こえるかもしれませんが実はさらに無粋なことにまずは展覧会の後始末それから中断していた細々の世事やりかけの雑事をできるだけ済ましてやっと描きかけあるいは新作に取り掛かることができます絵にとりかかるまでのモロモロを考えると正直かなりウンザリです。למה אנשים לומדים、לא רק אני、皆がそうなのですから呑み込むしかないのですが

会期中の6日間たくさんの人が見に来て下さりメンバーがそれぞれの絵の前で簡単な説明をしたりします絵は見ればいいだけで解釈も自由にしていいのですから説明など蛇足なだけでなく見る人の感性や解釈にある方向性を与えてしまうマイナス面も持っていますその点ではできるだけ何も言わない方がいいと思っているのですがどうもそれだけではなさそうです
 他人に説明することは目の前の自分の絵とこれまでの過程についてこれから描く絵について一枚の絵の外側からも考えるきっかけになりますそれは作家にとって大きなプラス面で展覧会はそのためにやっているといってもいいほどです本当は深く自問自答すればいいだけの話かもしれませんが見知らぬ他人との問答を繰り返すことが普段とは別の新しいフィルターで自分の思考をろ過し研ぎ澄ましていくことにもなるように思います

רַק、やっぱり普段と違うことをするので変な具合に疲れます若い時は展覧会の前2~3カ月間は目の前の絵以外は何も目に留まらないほど集中閉会後の2~3カ月は虚脱状態で他に何にもできないほどのアップダウンでしたいまはもう個展もしなくなりそんなこともなくなりましたがそれでも疲れるのは年齢が加算されているからかも知れませんあと10年いやあと5年何を最後に表現できるのか大げさかもしれませんが人生の意味が問われているんだなと期間中ずっと考えていました