


פרחים התלויים בדלפק הקבלה ל"תערוכת ציור השחף הכחול "。לקחתי את זה הביתה לסילוק、זה היה בזבוז, אז השתמשתי בו כמוטיב לשיעור ציור השמן למחרת.。ארגנתי ושרטטתי את הפרחים הפגועים。בינתיים、ליצור קומפוזיציה、זה עשוי להיות עשוי גם לעבודה。
פרחים התלויים בדלפק הקבלה ל"תערוכת ציור השחף הכחול "。לקחתי את זה הביתה לסילוק、זה היה בזבוז, אז השתמשתי בו כמוטיב לשיעור ציור השמן למחרת.。ארגנתי ושרטטתי את הפרחים הפגועים。בינתיים、ליצור קומפוזיציה、זה עשוי להיות עשוי גם לעבודה。
絵を描く楽しみは人それぞれ。ならば、その楽しみ方もまた様々なことでしょう。先日お知らせのように、「第11回青いカモメの会 絵画展」が終わったばかり。見に来てくれた人と、会場で作品を共有できることは、発表者にとってひとしお愉しいことのひとつです。「いい絵だね」「元気がでるよ」と、作者の頑張りをひとこと讃えてやってくださいね、お願いします。本当に皆、体力・気力、ぎりぎりのところでやってるんですよね。
急に、「世界」に目を向けると、どこにも発表せず、誰にも見せず、たったひとり空想の世界に自分の世界を広げる人も、多くはないですがやはり一定数はいるようです。フランスの作家バルザックの「知られざる傑作」は、そういう人物を描いた小説ですし、ごく最近ではアウトサイダーの作家として世界的に有名になった、ヘンリー・ダーガーもそういう人のようです(このブログでは紹介済みです)。
ダーガーは「知能的には高かった」のに、「クレージー」で、寡黙な「掃除夫」としてアメリカの経済的底辺に暮らさざるを得ず、ほぼ誰にも見せることなく15000ページを超える壮大な「非現実の王国で」という無垢な少女や神の価値観との戦争物語を書き、300枚もの大小の挿絵を残して、極貧のアパートの一室で誰にも看取られることなくその生涯を閉じました。死後、彼の「遺品の価値」を発見した大家さんの活動などによって、次第に世界に知られるようになりました。作品はニューヨーク近代美術館、パリ市立美術館などに収蔵され、「アウトサイダー」の作家として今では世界的に知られています。
話がつい、アウトサイダーにブッ飛んでしまいました!最近、ペンスケッチが再び楽しくなってきたことは過日報告済みですが、上のスケッチもそういう流れのものです。具体物を見て描く楽しみにももちろんエキサイトですが、こういったアイデア・スケッチもまた適当にパズル的で楽しいんです。それに、(意識していませんが)わたしにとって鉛筆とは違う手触り感、それもペンの愉しみのベースになっているような気もするんです。
これらは何かの出品作品のためのエスキースではありません。いつか作品にする可能性もあり得ますが、目下はただただ愉しみのためのスケッチです。ようするに暇つぶしなのですが、楽しすぎて仕事を後回しにしてしまうのが問題なようです。
一昨日から青いカモメの会・絵画展が始まったことはすでにお伝えしました。このスケッチはその前日。天気が良かったので、気分転換を兼ねて自転車で近くの花見に行ってきました。毎年必ずNHKで報道される、いわゆる「桜の名所」で、そのための車の渋滞も激しく、もしも近くでなかったらわざわざ行く気にはなりません。
わたしは毎年、この時季にここを取材しています。桜などはもう見飽きてるので、「桜を見に来る人をスケッチする」のです。今年は外国人、とくに中国系の言語が至る所で聞こえました。会話が聞こえる、ということは「一人旅ではない」ってこと。見ると、子ども連れ(それもまだ歩けない赤ちゃんなど)も少なくない。それに若夫婦のどちらかの両親らしき人などが加わる感じ。
ひと頃のような「いかにも観光」感だけではなく、どことなく「日本在住」感が漂っています。それと海外にいる両親、知人などという組み合わせか。日本は安全に金がかからないし、海外に比べると物価も安いから人を呼びやすいんだなあ、などと想像する。日本人のカップルも焼きそばなど片手に持ちながら、時どき思い出したように桜を見ていました。テレビで紹介されたところに自分たちもいる―共有できた―というのがいいんでしょうか。海外旅行者のリッチぶりに比べると、なんだか肌寒い気がしました。