
先日マスカットを描いた。単色だから簡単かと思ったのが浅はかだった。確かに「モノは単純に見えるものほど難しい」ことは十分に知っていたはずだったのに、つい甘く見てしまった。このスケッチはその反省を生かしつつ、テーマを「水滴」にした。
単純なものほど難しいというのは、例えばジャガイモを描くのは、蜜柑を描くより難しいし、蜜柑は栗を描くより難しい。ジャガイモとただの泥だんごとを見分けられない人はいまいが、見た瞬間にそれと分かるように描きわけるのは至難の業だ。蜜柑だってただの黄色い丸ではない。海辺のありふれたつぶ貝は、棘のかたちが複雑なサザエなどより、特徴がないぶん、難しいのである。
別に絵だけではない。例えば小説だって、その辺のごくごく平凡な人間を描く方が、偉人伝を書くより難しいともよく聞く。巷の騒音を音楽にするのもそういう意味で難しいことだろうと想像する。
話を戻すが、絵というのは眼で見て分かればいいというものではない。正確に描かれていればいいというものでもない。上手ければいいというものでもない。見る人の心になにか点火するものがいい絵である、とわたしは思う。下描きから完成まで、どの段階が「点火」になるかは作者にもわからない。下描きが一番良くて、描くほどに悪くなる絵も、実はたくさんある。この絵もこの先、どの段階がベストなのか、และ、そこで自分で止められるかどうか。その辺が、実力があるかどうかの境目だな。