3個のざくろから

「3個のざくろ」 水彩

3個のざくろ。ひと枝につながっているのではなく、バラバラのものを重なり合うように置いただけ。自然のものはなかなかこんなふうには配置されない。

よく見ると変なところがいくつかある。赤茶色のテーブルの上に置いたから、映り込みがすべてその色になっている。スケッチの中ではその色は省略されているから、緑の葉はある程度緑色をしていなくてはならないのに、赤茶色のままになっている。見た感じに描けばこうなるが、ここは修正を要する。

腰痛がひどく、描くのがやっと。描く姿勢が長く保てない。制作をYouTube用に撮影したが、撮影も面倒になって、つい急いでしまう。準備中のライトを消し忘れたり、録画ボタンを押し忘れたり、気づかないうちにカメラを動かしてピンボケになったりと、トラブルも続出。急ぐことが原因だが、早く終了して休みたいという気が働いてしまうからだ。そんな気分がきっと絵のタッチにも現れているだろう。

他人の絵を見るときにもそんなものが見えてくる。絵というのはある意味レントゲン写真のようなものでもある。ふだんは見えないものが絵の中に見えていることがよくある。急いでいるような気分は特によくわかるものらしく、若い頃のわたしも「そんなに急ぐ必要はない。もっとゆっくり描け」とよく言われた。焦りのようなものが絵から発していたのだと思う。
 隠しておきたいものほどよく現れる。自分では意識できないものほど露わになるから、絵はちょっと怖い。反対にこれはどうだ、とアピールしたいところなど、すっぱりと無視されてしまう。あるいは鼻つまみになる。いい絵、上品な絵、深い絵が、外見のいい人、上品な人、思慮深そうな人とはあんがい結びつかないのも面白い。

ลำดับความสำคัญ -1

"ทับทิมกับแก้ว" สีน้ำ F4

หลายคนที่ต้องจัดลำดับความสำคัญยังอายุน้อยและมีงานยุ่ง。คุณวางแผนที่จะเกษียณจากการปฏิบัติหน้าที่หรือไม่?、คนที่มีเวลาว่างไม่จำเป็นต้องจัดลำดับความสำคัญ。เพียงทำสิ่งที่คุณต้องการทำตามลำดับที่คุณคิด、ฉันคิดว่านั่นคือ "สิทธิพิเศษ"。เวลาทำให้ผู้คนรู้สึกมีความสุข、เป็นแพลตฟอร์มที่เพิ่มรสชาติอันละเอียดอ่อนให้กับชีวิตของแต่ละคน。แน่นอนว่าสิ่งนี้ใช้ได้กับคนที่มีงานยุ่งด้วย、สำหรับงานสถาปัตยกรรม ฐานราก และผนัง、อุปกรณ์และ、ภายในห้อง、ความแตกต่างในเฟอร์นิเจอร์、ในแง่ของรถยนต์ มีความแตกต่างระหว่างสมรรถนะขั้นพื้นฐานและความหลงใหลในความคลั่งไคล้、忙しい人と暇な人との間にはあるような気がする。ヒマな人も大事だよ、という意味ですが。

優先順位とは、「その時点での重要度の順番」ということだから、「その時点」が過ぎれば、優先順位が一気に変わるのはごく当たり前のこと。กำหนดเวลาที่เร่งด่วนที่สุดมักจะมีความสำคัญเพิ่มขึ้น。หากอันดับไม่สูงแม้จะเป็นเรื่องเร่งด่วนก็ตาม、จะถูกลบออกจากรายการทันที。ไม่จำเป็นต้องรีบร้อน (หรือไม่ควรมี)、เพราะมันไม่จำเป็น。

อิสระ、ตัวอย่างเช่น บางคนอาจคิดว่าศิลปินอยู่นอกโลกนั้น。แต่、แม้ว่านักดนตรีจะเล่นคนเดียวโดยไม่ได้รับอนุญาต แต่เขาไม่สามารถหาเลี้ยงชีพได้。รวบรวมผู้ชม、ฉันต้องสามารถหาเงินได้บ้าง、คุณจะถูกแยกออกอย่างรวดเร็ว。
ศิลปินก็มีลำดับความสำคัญเช่นกัน。แม้ว่าดูเหมือนคุณจะมีเวลาว่าง แต่คุณก็มีเวลาว่างไม่มากนัก。พวกเขาไม่ต่างจาก "คนยุ่ง" ตรงที่มีกำหนดเวลาเล็กๆ น้อยๆ กองพะเนินเทินทึก。แค่、ไม่ว่าคุณจะเคลียร์เส้นตายกี่เส้นก็ไม่มีวันหยุดพัก、พรุ่งนี้ฉันจะวาดกำหนดเวลาของตัวเองอีกครั้ง、พูดถึงเรื่องเห็นแก่ตัว ผมคิดว่าความแตกต่างคือการเห็นแก่ตัว (lol)。

“アイデア” という “芸術” 

また「ざくろ」か・・ですか?(やや風化気味の紙に水彩)

“アイデア” は “芸術” に必要な要素ではあっても、イコールで結ばれることには違和感を覚える人がいるのが当然だと思っていましたが、現実はすでに「違和感など無い」ようなんです。

「Art 」という語が本来持っていた、「技術・職人」という語感からかなり遠ざかってしまっていますが、ここへきて発想とかアイデアというものが、素材やテクニックも含めて一層大きく切り離されてきたと感じています。
 単純な話、「こんな絵を描きたい」というアイデアを「言葉にして」生成AIに話しかけると、たとえば油絵の知識も技術も、素材・材料さえ無しに、数分後には「作品」がパソコンの画面に生まれて(生成されて)きます。絵そのものがまったく描けなくても、鑑賞力など一切なくても構わない。そうやって “生まれた” 作品にも絵画としての「著作権」が生じるというのですから、ストレートに「アイデア≒芸術」ということになったと言っていいでしょう。ここでは「言葉」が「絵画」の著作権を作っていることに、わたし自身は違和感があります。

“芸術家” というのは、少なくともわたしにとっては特別な存在“でした” 。「でした」と過去形で言わざるを得ないというのも心情的にはかなり辛いのですが、おそらくあと数年もすれば、「言葉が話せる人=芸術家」という環境になると想像します。ไม่ใช่แค่ฉัน、多くの人にとっても“芸術家” は今でも憧れの一つでしょう。それが何の知識も経験もなく、子どもでも使えるアプリケーションだけで、堂々と「著作権」のある「作品」を持つ「作家」になれるんですから、誰でも一度はなりたいですよね。たった数分で作品が出来、しかもお金も時間もかからず、身体的にも疲労する間さえありません。
 「芸術家」にとって、「アイデア」はかつては努力と才能を絞り出した、それ自体ひとつの “結晶” のようなものでした。長い鍛錬と研究で培われた技術がアイデアに繊細な肉付けをし、さらに幸運の女神が舞い降りて、初めて芸術作品が成り立つようなものでした。そうやって育ってきた稀有の「天才」に、「誰でもなれる」ようにするために数世紀にわたって様々な発想法が考えられ、コンピューターの発達がそれを加速し、とうとう生成AIに到達しました。

 あなたも、AIを手にしたたった今から堂々とした「芸術家」になれます(もしかしたら、すでに「芸術家」でしょうか)。あなたのまだ小さいお子さんもすでに天才芸術家です。แน่นอน、お隣も、その隣も一緒なんですが。町内全部、市全部、県内、国内だけでなく、そう世界中「天才」だらけの世になったんです。DNAも師匠も切磋琢磨する仲間も不要です。アルキメデスのような “数分野かけもち” の天才もそこら中にいます。なんと喜ばしい世の中になったんでしょうか!!
 できるだけ多く、深いアイデアを生み出すための方法論も、デカルトなど多くの天才たちによって考えられ、工夫されてきました。彼らの方法論もまた名著として伝えられてきました。画期的な、新しい発想をすること自体がとても貴重で難しかったからです。
แต่、そんなのももう読む必要なくなったんですね。たぶん喜ばしいことです。今は「コミュニケーション」の時代。「独創的」より「皆と同じ」「共感できる」発想が尊ばれる環境です。“他にはない” というアイデア自体が不要になってきたってことなんでしょうね。