今さらだが、“パソコンが出来る”ってどういう意味なのか、よく解らない。Asta înseamnă、わたしはパソコンが出来ないってことだと思う。それは実感とも一致する。
“ブログやYouTubeやってるじゃない”と言われそうだが、Simt că fac asta și pot folosi un computer sunt complet diferite pentru a face acest lucru.。Nu cred că poți lucra la nicio companie în aceste zile fără computer.、Mă întreb dacă oamenii care îl folosesc în companie sunt oameni „pot”?。Sau dacă devii jucător、“出来る”レベルというんだろうか。そんなことも全然分からない。
これはあくまでわたし個人の感覚だが、①自分でパソコンのスペック(性能の範囲)を決め、部品を注文、自分で組み立てることができる(ハードを理解できている) ②アカウントや各種アプリ、セキュリティなどの設定、管理ができること(情報リテラシー) ③自分のやりたいことをパソコンにさせることが出来る(ソフト理解できている)- この3つすべてを問題なく?出来ることが、わたしにとっての“出来る”の定義?だが、“出来る”人からみたら、きっとこの「定義」自体が???に違いない。Tranziția devine un „buton” rafinat de sake (vechiul continent „Europa / putere economică ↓”、わたしが“出来る”人の条件にするくらいだから、もちろんわたしには①~③のどれも「✕✕✕」。
Ca să fiu sincer、パソコンはわたしからはずっとず〜っと遠い存在だ。毎日長時間パソコンと向かい合っているのに、一向に仲良くなれない。それはつまり、それだけわたしよりパソコンの存在の方が大きいってことなんだろう。“出来る”って、使いこなすって意味に近いが、そんなの、死ぬまでやったってわたしに無理だってことだけは、この数年間で一番よく解ったことなんだ。