เพื่อประกาศ

จากนิทรรศการเดี่ยวของโนริฮิสะ ไซโตะ

ฉันเห็นนิทรรศการเดี่ยวของ Norihisa Saito ที่ Kawagoe Gallery Unicon。เป็นนิทรรศการเดี่ยวที่ดีมาก。ไม่รู้ว่างานจะดีหรือเปล่า..、อย่างน้อยผู้เขียนและผลงานก็ตรงกัน、บุคลิกภาพของเขาสะท้อนให้เห็นอย่างชัดเจนในงานของเขา、ในแง่ที่ว่าสิ่งเหล่านี้คือคุณค่าของฉัน、ฉันคิดว่ามันเป็นนิทรรศการเดี่ยวที่ดี。

เพื่อแลกกับสิ่งนั้น、งานที่ฉันนำเสนอในกินซ่า โตเกียวเป็นเพียงแนวคิดตื้นๆ、เลอะเทอะ、ดูบอบบาง。และ、มันเป็นความคิดอย่างแน่นอน、ด้านล่างตื้น、ในทางเลอะเทอะ、ฉันเป็นคนตื้นเขิน。ในแง่นั้นข้าพเจ้าก็เห็นด้วยกับคำพูดและการกระทำของข้าพเจ้า、ไม่มีอะไรจะทำได้ถ้าคำพูดและการกระทำของคนผิดตรงกัน。

ฉันเพิ่ง、ฉันเริ่มจะสูญเสียความหมายของการประกาศแล้ว。น่าจะตั้งแต่ตอนนี้เป็นต้นไป、แม้ว่ามือของคุณจะหยุดทำงาน (ถึงแม้จะกลายเป็นคอมพิวเตอร์ก็ตาม)、ไม่ว่าคนอื่นจะคิดอย่างไรก็ตาม、ฉันจะวาดภาพต่อไป。สนุกกว่าการวาดรูป、เพราะไม่คิดว่าจะมีอยู่บนโลกนี้。แต่、ทำไมคุณถึงประกาศมัน?、คำตอบสำหรับคำถามนี้มีความชัดเจนน้อยลง。ฉันไม่คิดอยากจะได้รับการชื่นชมจากผู้อื่นอีกต่อไป。มากกว่านั้น、ฉันไม่ได้ตั้งใจจะแสดงให้ใครเห็น、ฉันรู้สึกมีความปรารถนาอย่างแรงกล้าที่จะกลับไปสู่ต้นกำเนิดของภาพวาดที่ไร้เหตุผลของฉัน。

試し描きで一生終わるわけにはいかないぞ

水彩効果4

水彩ブラシを一本ずつ試している。水彩ブラシが100本、チョークなどのドライ系が180本くらいあるらしい。その上要求すればあと200本くらいは色々なのが使えるらしい。上から順に、だいたい1本ずつ別々のブラシによる効果だ。すごい、すごい。

แต่、こんな調子で一日一本ずつやってると、試すだけで一年以上かかることに、三日目にして気がついた。「これとこれはセット」とか「この3本だけでだいたい賄おう」とかしないと、順列組み合わせの数は天文学的になってしまい、何度生まれ変わっても試し描きさえ終わらない。早く気がついて良かったー。

私の風邪が家族に移ってしまい、全員が調子悪い。แต่、私がウイルスを作ったわけではない。私にうつした奴がいて、そいつに移した奴がいる。急に話が飛ぶが、そういう訳で、とりあえずお風呂に入れないらしいから、ここ2日ほどお風呂は私の独占場になっている。いつもは一番最後、「お風呂洗っておいてね」だが、今は最初(で最後だから、結局はお風呂を洗うのだが)。"ที่、プールの匂いだ」なんて塩素の匂いを嗅いだりしている。

恥ずかしながら

水彩効果

大学時代の同級生からメールが来た。展覧会を見に来るつもりだ、นั่นเรียกว่า。なぜだか急にうろたえる。「ヤバい、もうちょっとまともな絵を出さなくっちゃ」。แต่、展覧会の一つは明後日からで、もう出品しちゃったし、もう一つだって来週月曜日から始まる。いくらジタバタしてももう遅い。

ถ้าคุณคิดเกี่ยวกับมัน、学生時代から私は絵を描いていたのだが、ほとんど友人たちに見せることはなかった。決して隠したり、隠れて描いたりしていたわけではないが、話題にならなかっただけなのだと思う。卒業、就職、そして多くの同級生たちがそれなりに地位や、あとに残せる資産などを作って退職するようになって、いまだに就職もせず(できず)、地位もなく、資産にいたっては就職1年生にも及ばないというオロカモノはどうしているのか、40年以上もバカの一つ覚えに描き続けている絵というのがどの程度のものなのか、気にかけてくれているのかも知れない、ฉันคิด。

แน่นอน、就職もせず、美大に行ったわけでもなく、ただ単に好きだというそれだけで、40年以上生きてこられたことは自分でも不思議な気もする。多分役に立たないモノ好きも、何人かは世の中にいても悪くはない、と社会が受け入れてくれたからだろう。特に努力もしなかったから、なおさらそうだとしか思えない。แล้ว、今さらジタバタしなくてもいいかも、とすぐ自分に都合のいいように考える。これが40年の成果です、と胸を張っては言えないが、人の物を盗んで見せるわけではないから、「これだよ」と聞こえないような小さな声で言おうと思う。