下北に行ってきます

He rebut una trucada aquest matí que el meu pare s'havia esfondrat d'una hemorràgia subaracnoide.。Pel que sembla, va ser ahir que es va ensorrar, però no hi va haver cap contacte fins aquest matí.。地域の拠点病院では処置できず、青森市の病院に回されたらしい。車ではどんなに飛ばしても最低2時間はかかるので容体が気になる。

時間だけなら新幹線が早いが、現地では車が無いとどうにもならないので、車で行く。今この時間に手術中らしいが上手くいくことを祈る以外何も出来ない。片道700㎞の道のりをせいぜい自分が交通事故を起こさないようにするのが精いっぱい。向こうには朝着くように今夜出発の予定。

そういうわけでしばらくブログ休むことになりそうです。帰ってきたらお知らせします。2011/8/16

絵画の技法

旅がらすの男(部分・制作中) F6 テンペラ

上の絵は 昨日の「シェルターの男」を少し進めたもの。テンペラ混合技法で制作中。絵を描くということについて、少なくとも現代においては精神性のみが重要視され、技法や画材などは重要なものとはほとんど見做されなくなっているようだ。

しかし実際には、絵を描こうと思い立って画材店を訪れた瞬間から、画材と技法は頭から離れなくなるに違いない。よく「絵なんて思った通りに描けばいいんだよ」「自由に伸び伸びかくこと」と言われる。私自身もおそらく数百回は口にしただろう。けれどそれができるのには、実はある条件を満たすことが必要なのである。

ある条件とは何か。一つは油絵の具に限ること。もう一つは画材に関する、特別に鋭い感性があること、Crec que sí。

油絵の具を選択すれば、ほぼ「思った通り」「自由に伸び伸び」は誰でも手に入れることが出来る。出来ないという人は「思った通り」が自分自身の中で曖昧なままなであることが原因。イメージをきちんと確認すれば、ほぼ誰でもその人なりの「思った通り」が実現されるはずだ。「自由に・・」は、・・ネバナラヌを振り捨てられるかどうかだ。いずれにしても本人が問題で、画材については万能だと言っていい。

Però,、油絵の具以外ではたとえば最も使いなれているはずの鉛筆や水彩絵の具でさえ、思い通りに伸び伸び描ける人は稀だ。ましてや日本画やテンペラ、フレスコなどと言うに至っては、日常的な想像ではまるでついていけない。「特別な感性」のある人だけが、その基本的な性質だけを参考に、技法にまで想像力を届かせることが出来るだろう。

Dit d’una altra manera、油絵以外はどれも技法的な制約をかなり強く受け、どうしても技術に固まって「自由に・・」とはなりにくいということだ。これはプロの作家でも変わらない。

けれど作品には精神性こそが大事で、技法など重要なことではない、というのはやはり正しいと私は思う。Dit d’una altra manera、油絵以外の画材を「運命的に」選択したならば、その技法を徹底的にやりぬき、まるで無意識であるかのように扱えるようになる以外にない。絵画において最も重要なモノはイマジネーション。そこでは技法(への意識)など邪魔なのだ。

そのことを最近になって思い出した。そういえば今日も暑い日だった。室温36度。Final de l’aniversari de la guerra。甲子園の高校野球は青森の光星学院がかろうじてベスト8に進み、奈良智弁学園が9回のツーアウトから対横浜高校1-4を9-4にひっくり返した。世の中は予想外、想定外があることの方が普通なのだということも。   2011/8/15

 

若さについて

シェルターの男(制作中)  F6  テンペラ

最近テンペラを再び基本からやり直している(原則からと言った方が、より正確)ことは前に書いた。i、我ながらすごいなと、少し自分を見直してもいる。

私がテンペラの作品を初めて制作したのは1981年だから、今年は30周年にあたる。すごいというのは、最初からこの技法を自分流に造り変えていることだ。テンペラに無知で、試行錯誤しながらだったことがその源だが、今あらためてテンペラの原則を確認しながら描いてみると、当時の直感がことごとく、極めて正確なことに少し驚く。

若さだと思う。もしも基本というものを学校などで教わっていたら、多分習った通りのやり方で描いていただろう(それはそれで間違いないことだ)。画集を見ても、作品の現物を見ても、技法書を読んでも、肝心なところは分からない。結局は今ある知識を総動員して想像をめぐらし、推理して、実際に試してみるしかない。Què vol dir dibuixar un dibuix、そういう実際を体験しながら、自分独自の作品を作っていくことだということを、まさに地でいったことになる。その直感力が今より格段にシャープだ。感性が若かったのだと思う。

反面、本当の技術の奥深さは、直感だけでは掴みきれない部分がある。若い分だけ、思考も知識の総体も不十分で、本物を知らない、独りよがりの怖さもある。でもそれでいいのかも知れない。結局はどんなかたちになろうと、自分の身の丈しか表現できるはずはなく、またそれで十分なはずだから。

いろいろ世事に振り回される。生きている以上誰しも避けられないことだが、年を取るとあれこれ先回りして考えることが出来るようになり、そのことが逆に自分を規定してしまうことにもなる。想定外のことは考えない、思考停止状態になってしまうのだ。若さの特権は想定外のことをまるで当然のように想定することでもある。ちょっと話が逸れるが、日本の社会も想定内のことばかり考えるようになっているように見える。若い人が住みづらい国になるわけだ。

中川一政が男は50代、60代が一番弱い、と言った。その理由は子どもの教育と親の面倒と自分の家庭と仕事のすべてが一人の肩にのしかかってくるからだという。segur。60を過ぎればかえって若くなる、とも言っている。私の周りを見ても、のびのびと自己主張の絵を描ける画家は確かにその年代あたりからかも知れない。今の苦しみが60過ぎてから活きてくることを信じる以外に、今はないようだ。 2011/8/14