บางทีฉันควรวาดอะไรก็ได้

おつまみを描いてみた

「絵になるモノ」を探すとつい古典的な発想になってしまう自分だけモダンな構図構成の絵になったと自己満足できても一歩引いてみるとその感覚がどうしようもなく化石化している夢を何度も見る

お酒を飲んだついでにおつまみを描いてみた現代のものたとえばステンレスとか半透明のプラスチックとか「絵にならなそう」なものも描いてみればそれなりの面白さも無くはないし技術的な練習になら十分意味もあるあるものを絵画と呼びあるものをスケッチと呼びあるものをイラストとどこかで区別してそれぞれに別の考え方をする癖がすっかり自分についてしまっている

「どうやったら絵になるか」に頭を悩まし教室でも同様にそんなこと気にしない人々まで全員を悩ましてきた「自分らしい絵を描きましょう」とか言ってそのための背景とか構図とかの考え方など教えたりしてきたが本当はそのことでかえって伝統的な考え方にはめ込んでいたのかもしれない

眼に入ったもの絵になってもならなくても手当たり次第に勝手に描く必要があれば今はなんでも調べられるなんでもどんどん描けばいい悩む必要も悩ませる必要もなかったのかも今頃になって笑うしかないけど

แอปเปิ้ลและองุ่นวาดบน iPad

แอปเปิ้ลและองุ่น

องุ่น (สำหรับฉัน) มาจากอเมริกาซึ่งฉันไม่ค่อยเห็นบ่อยนัก。เมื่อเทียบกับสินค้าญี่ปุ่นทั่วไป เมล็ดธัญพืชไม่ได้อัดแน่น、ดูเหมือนเชอร์รี่หลายลูกจะติดอยู่ในก้านเดียว。ฉันไม่รู้ชื่อสายพันธุ์。

ไม่ใช่พวงใหญ่、4,5เมล็ดข้าวก้อนเล็ก ๆ เหรอ? ใส่สองหรือสาม、ขายในแพ็คเดียว。ไม่ใช่พวงแฟนซีดังนั้นราคาจึงต่ำ。มันอาจจะสมเหตุสมผลเพราะคุณกินข้าวทีละเมล็ดอยู่แล้ว。ฉันคิดว่าองุ่นที่ราคาหลายพันเยนต่อพวงก็อร่อยดี、เมื่อคุณคิดถึงกระเป๋าสตางค์ของคุณ คุณจะไม่สามารถหาซื้อได้ง่าย ๆ。ฉันลองใช้เมล็ดพืชสองสามเมล็ดนอกเหนือจากแม่ลาย。แน่นอน、ท้ายที่สุด มันก็เทียบเท่ากับแรงจูงใจ。

ฉันคุ้นเคยกับ iPad แล้ว、ฉันคิดว่าการปรับปรุงประสิทธิภาพของตัวผลิตภัณฑ์เองก็น่าทึ่งเช่นกัน、ระยะนี้รู้สึกว่ายังไม่ทันดินสอจริงๆ。これまで紙のスケッチブックにたくさん描いてきたそのほとんどは段ボールなどの中で眠っている。แต่、そのスケッチや絵をDMやポストカードに使おうとするとかなり大変作品選びで部屋中が一杯になり選択したあとも整理や片づけに時間もかかるが体力も遣う。นอกจากนี้ยังใช้เวลาในการถ่ายภาพมากพอๆ กัน。แม้ว่าคุณต้องการเผยแพร่ผลงานอันล้ำค่าของคุณสู่โลกในรูปแบบต่างๆ、พอคิดถึงเรื่องลำบากแค่ไหนก็เหนื่อยใจ。โดยคำนึงถึงสิ่งนั้น、ไม่ว่าจะเป็นวิดีโอหรือภาพถ่าย、ฉันรู้สึกถึงความจำเป็นอย่างยิ่งในการถ่ายภาพและแปลงเป็นข้อมูลในเวลาเดียวกันระหว่างการผลิต。

การแปลงรูปภาพเป็นข้อมูลหมายถึง、จากนี้ไปมันจะมีความสำคัญมากกว่าที่เป็นอยู่ตอนนี้。ในแง่หนึ่ง、ตราบใดที่มันกลายเป็นข้อมูล、ช่วยให้สามารถขยายได้มากกว่าภาพร่างหรือภาพวาด。ตอนนี้、เหตุผลที่ฉันจงใจละเว้นการสเก็ตช์ภาพด้วยกระดาษและดินสอและวาดภาพ CG บน iPad ของฉันต่อไปก็เพราะเหตุนี้、ไม่ใช่แค่คำแนะนำในชั้นเรียนเท่านั้น、นั่นก็คือความหมายเช่นกัน。แค่、การสร้างภาพวาด (โดยเฉพาะภาพขนาดใหญ่) ต้องใช้เวลา、การสร้างวิดีโอถือเป็นเรื่องใหญ่、ฉันไม่ค่อยได้ดูใน YouTube。อาจเป็นเพราะผู้ชมไม่จำเป็นต้องทำเช่นนั้นมากนัก。

นกหวีดเหงา

圏央道です―希望ですか?それとも?ですか―ウォーキング中

なぜ人は歌うのかわたし自身も誰もいないところで(たとえば運転中)何気なく歌うことはあるなぜか大勢の人の中にいるとき場とは無関係に声は出さずに心の中で歌ってしまうこともある理由がありそうなときも無い時もあるが結局はそのときの気分次第というしかない。และ、そのときの気分にぴったりの歌を知らないことを時には残念に思ったりもする

若い人たちはすごく音楽を聴いている(と感じる)ある意味で音楽が彼らの日常を支え励ましているからなのだろう音楽は彼らの声でもあるのだ衆議院選挙が近いこともあり歌と言葉についてちょっとだけ想像を広げてみた

言葉と歌の距離は文学史的にはかなり近いそもそもことばにリズムと音階を載せれば一応は「歌」のかたちになる。ใน、その歌詞をよく見ると古代から現代まで政治的メッセージであることは少なくないたとえばビートルズの「イマジン」政治性を感じないという方がおかしいというほどのメッセージ性歌は政治に近い―政治は論理的であるべきだとは思うが(日本の)「政治」の言葉はそこからわざと論理からも感覚からもずっと離れたところへ行こうとしているように見える平俗的?に言えば「当選本位」の「キャッチフレーズ・オンリー」つまりは「広告」だ政治(のことば)が広告看板そのものになり下がってしまっている―政治が音楽や美術などの芸術や学問を軽んじているから尚更だ

政治家が好んで取り上げる「文化」といえばせいぜいスポーツ「東京オリンピック2020(事実は2021年)」期間中某総理大臣がわざわざ官邸に記者を呼んで金メダリストにお祝いの電話をかけるパフォーマンスを繰り返したこれを見て多くの日本人は自分の股間を人前で何の羞恥心もなくさらけ出しているようないわば21世紀の日本がまだサル(猿)の社会のままであるかのような精神的屈辱を味わわされたのではないだろうか少なくともわたしはニュース画像中の得々とした彼の顔にサル(猿)のマスクを重ねないでは正視出来なかった新首相はまだマシかと一瞬思ったがもう忘れかけていた「アベノマスク」の「生地の新調」に過ぎなかったのでやはり「アベスガサル芝居・第二幕」の幕開けだったのかと腑に落ちた

人はなぜ歌うのかそれは人はなぜ絵を描くのか人はなぜ学問をするのかと同じ問いだ世界がどうあれ日本の政治がどうあれわたしたちは若い人も老人もとりあえずは「明日も明後日もあるものとして」生きていく。ฉันไม่รู้เกี่ยวกับวันพรุ่งนี้、แต่、明後日のことなら歌ってみたい―――歌は自ずから・・・と書きかけたがせめて明後日のために―寂しい口笛になってしまった