เป็นเจ้าของเวลา

     "หุ่นนิ่งบนหิ้ง"สีน้ำ

โลกกำลังเคลื่อนที่อย่างรวดเร็ว。บางสิ่งก็ล้ำหน้ากว่านั้นอีก、แต่、บางสิ่งบางอย่างเสื่อมลงหรือถดถอย。โลกกำลังเคลื่อนไปในทิศทางที่ต่างกัน。นั่นเป็นเหตุผล、แม้จะตั้งใจจะอยู่ที่เดิมก็ตาม、คุณจะค่อนข้างอยู่ในการเคลื่อนไหวนั้น。

แต่、นั่นคือเรื่องราวปัจจุบันบนโลก。เวลาและพื้นที่、ในแง่หนึ่ง มันเป็นสิ่งประดิษฐ์ของมนุษย์。โลกนี้จะพังทลายลงและกลายเป็นฝุ่นในจักรวาลในที่สุด、หากชีวิตใหม่เกิดที่ไหนสักแห่ง、จากตรงนั้น มี ``ความเป็นไปได้'' ที่เวลาและพื้นที่ 'ใหม่' จะถือกำเนิดขึ้น。ตามที่นักดาราศาสตร์、ความน่าจะเป็นที่มนุษย์จะมีวิวัฒนาการในลักษณะเดียวกับมนุษย์ในปัจจุบันคือเท่าไร?、ดูเหมือนว่าจะใกล้ศูนย์แล้ว。

กล่าวอีกนัยหนึ่ง、เรา、อือ、ไม่ใช่เรื่องเกินจริงที่จะกล่าวว่าทุกชีวิตบนโลกคือปาฏิหาริย์。แต่、มองเข้าไปข้างในปาฏิหาริย์นั้น、เต็มไปด้วยความขัดแย้ง。เป็นที่ชัดเจนว่าไม่มีอะไรสมบูรณ์แบบ。และยัง、นอกจากนี้ มีเพียง “มนุษยชาติ” เท่านั้นที่เป็นเพียงส่วนหนึ่งเท่านั้น、ประมาณหนึ่งคำตอบที่ถูกต้อง、พวกเขากำลังฆ่ากันเพื่อยืนยันความชอบธรรมของตนเอง。โดยไม่รู้ว่ามันเป็นความขัดแย้งในตัวเอง。

มีเพียงมนุษย์เท่านั้นที่สามารถ "เป็นเจ้าของ" เวลาได้。"เวลาของฉัน"。นั่นเป็นปาฏิหาริย์จริงๆ、การคิดถึงเรื่องนี้อีกครั้งก่อนตายไม่ใช่เรื่องเลวร้าย、ฉันคิด。ถึงแม้จะเจ็บปวดนิดหน่อยก็ตาม。"หุ่นนิ่งบนหิ้ง"。ฉันไม่ได้วาดอะไรเลย、นั่นคือที่ที่เวลาของฉันเหลือ。

作家と会社

栗と葡萄の水滴

今日は上野乃木坂と、4つの大きな展覧会を駆け足で廻ってきた(疲れた)東京都美術館の一水会国立新美術館の行動展新制作展それと企画展の田名網敬一展今日は田名網敬一展を紹介するはずだったが会場での写真はちゃんと撮れているもののなぜか転送ができないのが残念(たぶんiPhoneとmicrosoft との相性の悪さが復活)

田名網氏は画家でありアートプロデューサーであり・・であり・・でありのマルチな美術家であるアート系の雑誌やおしゃれな広告雑誌などメディアでの活躍が凄まじいのでうんと若い人は知らないかも知れないが多くの人は「あああれを描いた人か」と一度は眼にしたことがあるほどの人

一人の人間がやれる仕事には限りがあるその「限り」を軽々と越えていくのが天才だとするならば彼は間違いなく天才であるピカソと同類の実際にピカソが大好きらしくピカソ風の(と言ったら怒られるに決まっているが)絵をこれでもかというほどたくさん描いている模倣だとか言われるのを気にしないというよりピカソ愛のあまりピカソになり切ってピカソより多くピカソ風の絵を描いてやるという勢いなのである。นอกจากนี้,、それは彼にとっては趣味の一部

現代において社会で大きな仕事をするには「会社」が不可欠である彼の仕事のほとんどは会社という組織との共同作業である会社というものが彼の力を存分に引き出す力を与えている経済だけでなく会社(組織)というものが社会の中で持つ力をまざまざと見せられた個人の力などそれが原点であるにしても社会に対するインパクトなど知れたもの
 一水会、นิทรรศการแอ็คชั่น、新制作展などどこにも有為の才能の持ち主がいてアイデアや技を競いそれなりの存在感を示してはいるのだがそれが束になっても残念ながら会社には勝てないのであるだから無用だというわけでは全然ないのだが

栗の習作(ペン・水彩)

古代の日本人にとって栗は高級食材であった丹波栗などの有名ブランドは今でも高級食材であるけれど古代ではすべての栗が貴重品だったらしい

แม้แต่ตอนนี้、山へ普通に行って栗を採って来れる人は全人口の何パーセントいるだろうか流通経済のおかげでお金さえあれば寝ていても宅急便で手に入れることはできるがそういう次元の話をしようというわけではない

栗はドングリよりはるかに有用な植物だった栗同様ドングリにも種類があるが一番多いのは椎の木のドングリだろう北東北北海道を除く日本中の野山ではわりと簡単に見つかる種類であるドングリの中でも「実」の大きいクヌギ(櫟)は高級な方。แต่、ドングリを食用にするには強いアクを抜く結構な手間がかかる
 栗はそれらドングリのいずれよりも大きく面倒なアク抜きの手間がほとんど要らず栄養価も段違いに高いしかも木は大木になって建築用材としてもすこぶる有用である。นั่นเป็นเหตุผล、古代の集落の周りには可能な限り栗の木を植えた、เห็นได้ชัดว่า。ลองคิดดูนะครับ、現在の三内丸山遺跡の場所は三年間毎日のように遊んだところだったが発掘以後は行ってないわたしにとっては必ず行かなくてはならない場所のひとつ

ついでだがマロングラッセという西洋のお菓子がある(しばらく食べてないなあ)マロン=栗というイメージがあるが実は “マロン” は栗ではないマロンはマロニエの実でマロニエとは「栃の木」である日本では栃餅栃蕎麦などに使われるが栗と同列には扱われない近代日本の黎明期パリに集った日本人たちのほとんどは高級人種ばかりで日本の野山で在来の栗など採った経験などない栗の実と栃の実の区別などできない連中ばかりだったのだと想像する
 栗を見るといつもそんなことを思ってしまう