jenant

efect de acuarelă

Am primit un e-mail de la un coleg de la facultate.。Mă duc să văd expoziția.、Asta e。Dintr-un motiv oarecare mă simt brusc agitat.。„Este periculos.、Trebuie să vin cu o imagine mai decentă.”。dar、Una dintre expoziții începe poimâine.、Deja l-am scos la vanzare、Celălalt începe luni viitoare.。Oricât de ocupat sunt, este deja prea târziu。

Când te gândești la asta、Desenez de când eram student.、Aproape că nu le-am arătat niciodată prietenilor mei。nu te ascunde niciodată、Totuși, nu era ca și cum desenam în secret.、Cred că pur și simplu nu s-a vorbit despre asta.。absolvire、găsi de lucru、Și mulți dintre colegii mei de clasă au un anumit statut și statut.、Am început să mă pensionez după ce am creat active pe care le-aș putea lăsa în urmă.、Încă nu am un loc de muncă (nu pot)、nicio pozitie、Ce fac acești idioți ale căror bunuri sunt mai mici decât cei aflați în primul an de angajare?、40În ce măsură există imagini pe care am continuat să le desenez de mai bine de un an cu un singur lucru în minte?、Poate îi pasă de mine.、Cred că。

cu siguranţă、Nu obține un loc de muncă、Nici măcar nu am fost la școala de artă.、Doar pentru că te iubesc、40Mi se pare ciudat că am putut trăi peste 20 de ani.。多分役に立たないモノ好きも何人かは世の中にいても悪くはないと社会が受け入れてくれたからだろう特に努力もしなかったからなおさらそうだとしか思えない。Dacă da、今さらジタバタしなくてもいいかもとすぐ自分に都合のいいように考えるこれが40年の成果ですと胸を張っては言えないが人の物を盗んで見せるわけではないから「これだよ」と聞こえないような小さな声で言おうと思う

efect de acuarelă

efect de acuarelă

パソコンのソフトで水彩効果を試してみたちょっと驚いた

ずっと前描画ソフトで「水彩」というのを試した時タイムラグも大きいしその効果もマジックインキを薄めただけという感じでとても使えないと思いそれ以来無視していた。dar、プロのイラストレーターたちの色の出し方などを見ていると逆にもうコンピュータを使わないと無理だなと思うことだらけになってきた

ほんのたまに使い普段は死んだような状態になっているソフトに新しいブラシを導入してみると…すごい進化している!!使い物にならなかったのはソフトではなく自分の頭の方だった日進月歩のソフトだから当時のギャップなどあっという間に改良されたのだろう。încă、どんなブラシがどんな効果なのか全く把握できていないのでとりあえずはブラシを知ることだ

エミリー・ウングワレ

エミリー・ウングワレ「私の故郷」1992

エミリー・ウングワレ(Emily Kame Kngwarreye 1910?-1996)はオーストラリアの中央砂漠の端の小さな集落にアボリジニとして生まれたいわゆる西洋式の教育を殆ど受けたことがなくアボリジニの伝統しきたりの中で育ちそこから出たこともなかった

オーストラリア政府の教育プロジェクトの一環として近くで美術と工芸のプログラムが始められエミリーがそれに参加したのはもう80歳目前の時だ始めはバティック(染色の一種)を学んだが、2年ほどして美術の授業を受けそこで初めてキャンバスに絵を描くことを体験するそれまでは(西洋)絵画に関する一切の知識も経験もなく絵筆を握ったことさえなかった

この時のプログラムの最後に受講者たちの展覧会が開かれそこでエミリーの絵が注目を浴びる。1〜2年のうちに現代絵画の世界的な展覧会に招待されるようになりオーストラリアを代表する作家になる絵というものに触れた瞬間から亡くなるまでのわずか5〜6年世界の現代絵画のなかで特別な位置を占めるまでになった

彼女自身にとってはそのような栄光にほとんど意味はなく依然として砂漠に住み周囲の自然の感覚の中でヤムイモの収穫を祈りそれを食べ感謝の唄を歌い踊るキャンバスに絵具を塗ることもそのような自然な生活の一部分になったということに彼女自身の意味がある1点数億円で自分の絵が売買されることよりヤムイモや地の霊を思いそこに捧げる歌や踊りのもう一つの方法を絵という形で獲得したことが彼女にとっての価値になった計算するとほぼ1日1枚毎朝顔を洗うように昼寝をするのと同じように描いていたらしい、3000枚の絵私はエミリーが亡くなって2年後にその大展覧会を見た