「夏の情景」のテーマ

夏の情景

何日か前に同じ構図の絵を載せた(8月5日「陸上女子1500m」)その別バージョンその時は前の方がいいと思ったけれど今見るとこちらの方が(一見おとなしく見えるが)線とフラットな色彩のぶつかり合いという狙いの明確さ無地の広さから考えるとこちらの方がより大胆だと(今)は感じる

目先の目くらましの効果につい意識が奪われてしまういつもゴールがどこかを探し続けていないとそれだけで終わってしまうそれはちょっと残念だがゴールをどう設定するかはその人の価値観ということだからたやすくは設定できないし最終的に辿り着くものをいきなり最初に立てるということ自体にも無理がある。แต่、ゴールは絶対必要

わたしにとっての絵のゴールとはなんだろうか?わたしはゴールを未だに設定できていないというのはわたしにとってのゴールはすべての制作の彼方にあってまだ遠くからの灯台の光のように時々光芒が見える程度に過ぎないからだただあっちの方角だなと見当をつけて歩いているだけその途上に道が現れ坂を上り下りし時には道のない藪に迷い込んだりするその時々ちょっと小高いところに立てば次の「目標」が見える次は「線の考え方を変える」つぎは「線と色の関係性について考える」などが目標になる

แต่、1枚の絵にはそれなりのゴールが必要でありそういう意味でのゴールのイメージは当然あるこの絵(に限らないが)のテーマは「表現のパンチ力」「優しい」「気持ちのいい」表現とは少し距離を置こうとしているもっと破壊的前衛的な表現もあるがそれは今のわたしには厳しいボクシングでいえばリング自体を破壊するような表現ではなくとりあえずリングの中で対戦するそういう意味でのパンチ力ジャブは「強い線」ボディブローは「単一な色面」カウンターパンチは「塗り残し」「塗らないという技術」が今のところわたしにはいちばん難しい

Glass apple

Glass apple (2021に加筆)

2020年にいったん完成させた作品に加筆したもの加筆箇所はほぼアウトラインのみ前はウルトラマリンの細い線だった何となく納得できないままほぼ1年放ったらかしになっていたが昨日ふっと「アウトラインの細さが存在感の無さにつながっているのではないか」と思いついた

同じウルトラマリンで太くしてみたが効果が弱いと感じたので思い切って黒を混ぜてみた線の端が必要なラインからはみ出すのは一度筆を止めた直後に無造作に再び筆を置く癖のため水彩の時はそれでリズムをとることもあり必ずしも悪い癖とも言い切れないが注意が必要だ。ดี、試験的な作品だからいいとしておく

黒という絵の具は艶があると締まった深い感じを与えるが艶が無いと灰色に見えてしまう水彩の場合はアクリル板を使うと黒がすごく良く見えるのはこの「艶」の効果ここでも黒だけは艶を出してみた「ガラスのApple」という題にしたがそんな感じは出ただろうか

夏の夜のベランダ

夏の夜のベランダー2


夏の夜のベランダー1

「夏の夜のベランダ」というテーマでの2枚のエスキース1では植物がど真ん中過ぎると感じて、2で右に寄せてみた

配色のせいもあるがなんだか人物が隠れ植物が前面に出ている1の方がいい感じに思える。2では「ベランダにいる人物植物はたまたまベランダにある」という内容だが、1では「ベランダで夜景を楽しんでいる植物そこへたまたま人間が入り込んできた(チェッ邪魔なやつ)」という感じで明らかに主役が入れ替わる

もちろん1より2の方があと時間が経ちある意味冷静になったぶん常識的になったともいえるあとの方が良くなるとは限らない1は絵画上での「擬人法」のようでもあり面白い