palomitas de caramelo

palomitas de caramelo (CG)

¿Cuántos años han pasado desde que como palomitas de maíz?。Sólo tengo recuerdos de cuando mis hijos eran pequeños.。No es que tuviera muchas ganas de comerlo.、Quería dibujarlo como si la tapa estuviera abierta.。La razón por la que lo elegí fue porque parecía que podría usarse como motivo para una pintura; lo siento por el fabricante cuando digo esto.、El sabor después de mucho tiempo es tan delicioso.。

Al igual que hay un "orden de trazos" en los kanji.、Incluso bocetos como este tienen un "orden de dibujo".。Por supuesto que puedes dibujar sin seguir estas reglas, pero será mucho más difícil.。No existe un orden "oficial".、es caso por caso、Sólo hay algo que se puede determinar a partir de la experiencia.。Tal vez haya una regla、eso esta muy lejos。

Hoy deambulé por el supermercado durante casi dos horas.。Una vez que hayas decidido algo, vuelve a ponerlo en el estante.、Si observa desde la barrera, puede sospechar y preguntarse: “¿Qué estás haciendo?”。Mañana (ya es hoy) es "puñalada en el ojo (de sardina)"。El salón de clases va a oler a pescado... es por las fotos.。por favor tenga paciencia。

"Cinta Morus"

dibujar cinta morus(acuarela)

Mientras se aplica "Morus Tape", un agente analgésico y antiinflamatorio.、Esta puede ser la vanguardia de la curación para la gente moderna.、Estaba pensando。Y éste puede ser uno de los "motivos más adecuados para la pintura contemporánea".、amigo。separar、Fácil de sacar、Fácil de guardar。内容物・外装ともシンプルで軽量かつかさばらず機能的で無駄がないまさに「『現代』のモノの象徴」だ

何を描くか(対象物)それが何を「主張」しているのかは絵画にとっての背骨である、aparecer。けれどそれはあくまで「現代では」のことで、Si miramos la historia de la pintura、Parecía haber un énfasis abrumador en el nivel técnico de "cómo dibujar el objeto".。No me importaban los "reclamos"、De hecho, incluso los estaba poniendo en peligro.。

Al menos hasta los tiempos modernos.、巧みな描写力こそ画家の力量そのものでありそこにどんな主張を盛り込もうと大衆はそんなことに興味など持たなかった(たぶんおおかたは今でも)さすがに現代では「描写力=写真的な写実力」という古く単純な公式だけで済ますことはできなくなったカメラとコンピューターが一つになったことで「写真」の定義そのものが揺らぎ始めてきたからである

すでにわたしたちの脳裏には「カメラを持ったサル」としての「映像的世界観」が染みついている行ったことのない場所のことをそこに住んでいる人より雄弁に語りすでに亡くなった人について家族より詳しく「見て」知っているそれどころか100年後の自分の子孫の顔まで見ることもできるそんな世界で「絵画」に何が出来るのかたとえば「描写力」ということにどんな意味を持たせることができるのか「現代絵画」にそんな力があるのだろうかそもそも「現代」「絵画」とはいったい何なのだ

絵画はもう終わっているとすでに書いた覚えがある。pero、きっと絵を描く人はいなくならないし、viceversa、いつの日か子どものように無心に誰もが絵を描くときが来ないとも限らないたまたま「わたし」の目の前にある「モーラステープ」は「わたし」に結び付く地球の歴史すべての中の最終的な一つでありとりあえずは「映像的世界観」の中でなくいま「わたし」の生命感覚と最も近く結びついているあらゆるモノの中のひとつだ(いずれそれもバーチャル(仮想)のひとつと見做されるかも知れないが)それはまるで偶然のようだがそれがモノの真っただ中に生きている「世界の中のわたし」の現実であるような気がするそれを「写真に撮る」「写真的に描写する」だけでは「バーチャル世界観」そのものの中に自ら埋没しようとする自殺行為になりはしないか。tan、ひたすら「自分にとっての」描写の「意味」にこだわりたい―そこにかつての美術史にはあった輝かしい意義はもう見いだせないけれどそれでも「わたし」なりの意義を求めるそれがモーラステープ「であることを見せる」ためではなくわたしがこれを描こうと「選んだ理由」を示すために。pero、それが「絵を描く」ってことなんだろうか(この項未完)

Los méritos y deméritos de “60 minutos sin parar”

デニッシュパンを描く (1回限り)

モチーフは手で引きちぎったパン(「引きちぎられた断面」が重要)課題としては難しすぎることを承知のうえでのスパルタ式水泳ならギリギリまで泳ぐ気力・体力があるかどうかのテストのようなものかも“見える” “描ける”の限界まで描くとそこに不思議に「何かが生まれてくる」ことをわたしはなんども経験しているアップアップ状態に耐えて初めて得られる体験それが芸術につながる一本の糸でもあると思う。 

課題は「ノンストップで(最低でも)60分間描き続けよ」実際は 90分以上も無言で黙々と描き続けた挫折飽き諦めなどをあらかじめ想定していたのだがそのそぶりもない無言の集中力(他ではノンストップ180ミニッツのクラスもあった)

2021年の「青いカモメ」最終クラス当日1回だけの「鉛筆デッサン」他クラスでのデッサンの話を聞いているのでデッサンはキツイやりたくな~い の(プチ)ブーイング(でもやればきっと「もっと」と言い出すに決まっているとのアマイ予想)

「青いカモメ」のすべての皆さんどうぞ来年また一歩それぞれのギリギリ体験を深めあなた自身のあたらしい羽ばたきにつないでくださるよう願っています。por ahora、コロナに注意してお元気で

*ブログは(たぶん)年末までもう少し続くよ―よろしくね