granada azul

Ayer 18:00Lo he subido

Lo subí ayer。Pude subirlo el día anterior ayer、Traté de volver a visitarlo e hice algunas correcciones después de posponerlo un día.。

El primer bosquejo de la pluma en este video muestra el sonido de la pluma que se ejecuta a través del cuaderno de bocetos.、Me tomó mucho tiempo tratar de dejar ese sonido atrás。Pero al final tuve que eliminar todo.(> _<)

Foto tomada en una esquina del taller、Lo estoy editando、El ruido exterior durante la filmación es terrible。Estoy tan loco por el dibujo que apenas puedo escuchar el sonido del auto.、Empecemos a editar、Es muy triste ver cómo viven en el ruido.。Frenos de aire de la camioneta、El sonido del motor sopla、Obturador balanceándose bajo presión del viento。Especialmente si intentas apagar los sonidos fuertes、Las imágenes importantes han sido sacudidas。Mi corazón también está destrozado、Ni siquiera tengo ganas de volver a las imágenes rotas a su estado original.、Deseche todo el audio、Logré subirlo todo a la vez。

Cuando lo abres, mira、Después de todo, los números de visualización no están aumentando。Aunque se cargó en un día laborable、Creo que es un video poco atractivo después de todo.。Incluso si es difícil escuchar、Tal vez hubiera sido mejor tener un buen sonido。Quiero un estudio insonorizado。Probablemente hay muchos espacios de alquiler en una gran ciudad.、No es un pueblo pequeño。El tema también fue difícil、Doble、Estaba decepcionado con Mie。

Fui a Chikami Saitama.

倉田白羊のスケッチ
文谷有佳里「なにもない風景を見る(部分)」

久しぶりに最高気温が30度を下回るというのでちょっと遠いが歩く距離はあまりない北浦和の埼玉県立近代美術館(埼玉近美)へ行ってきた

一歩外に出ればそこには何かが転がっているものだ埼玉近美のMOMAコレクション展は「旅」がテーマだったらしい上の絵は明治の画家倉田白羊の旅先でのスケッチ小さなハガキを変形したくらいのサイズのスケッチブックというかもっと薄手のクロッキー帳のようなざら紙に描いてあるそれ自体がすでに一枚の完成作といってもいいくらいにきちんと描いてある。No solo pintores、芸術家というのはどうしてみんなこうも律儀なほど作品に対して誠実なんだろう。primero、そのことに胸をうたれる

下の絵はここ数年のコレクションらしい文谷有佳里(ぶんやゆかり)氏の「なにもない風景を見る」の部分全体を見てもこんな感じだから具体的に何が描いてあるのかはよく分からないよくわからないのになぜか非常に具体的なものばかり描いてあるように見える直線はきちっと(もしかしたら烏口かなにかで?)製図のようにというより製図されている(紙がケント紙だったかどうかまでは確かめそこなった)
 さらに見るとそれぞれ思いつくままに(多分そうだろうけれど)描いてあるはずなのにフリーハンドがただのフリーハンドではない時には雲形定規か何かを使ったようでいい加減な線というものがない線の太さもあえてできるだけ均一にしているようだ
 わたしたちが普通に見る都市の風景は見た目には一見雑然とはしているけれどそこに見える建築や道路橋などの構造物さらにそこを走る車や電車や広告看板でさえそれぞれきちんと計画・設計されたものばかりでできている(はずである)それらのすべてがその過程で一度は製図されなかったものなど実は一つもなかったことに思い至るそんな「計画づくめの風景の現実(の風景)」を見ているような気がする

あえて見たいと思わせるものなど一つも描かずに確かにこれは現代の風景を見せられているんだなあと感じさせる(入場料200円は安いよたしか12月中旬までやってる)

Mamá、Ikka ma, aún

このくらいで「まいっか」

わたしの苦手な言葉「まいっか」「まいっか」とはご存知の通り、"por ahora、OK」のこと

それは自分に対しては「甘やかしの言葉」他人に対しては?言いようによっては「しょうがねえやつだなー」って意味にもなるから注意が要る基本的に相手を認める言葉だからなるべくは使いたい言葉だが時にはつい要求が先に出てしまう「もちょっとやれるんじゃない?」とか

決して相手を馬鹿にしているわけではないむしろその潜在能力を高く買っているからこそ要求もしてしまうのだが、de hecho、それは言ってはいけない言葉なのだたとえそういう意味だと相手が分かってくれても、Es。por ahora、「まいっか」それが大事

わたしは毎日自分を甘やかしている毎日「まいっか」と自分に言っている本当はわたしの大得意な言葉なんだそれが他人に対しても同じように言えないということは自分に余裕がないからだということも分かっている。pero、それも「まいっか」すぐそれを口にできるよう毎晩唱えてから寝ることにしようっとマイッカ教の始祖になる?