
夏が来れば思い出す、さまざまなこと。数十年前の子どもの頃のことを突然思い出し、อา、あれはこういうことだったのか、と(記憶が創作されているのかも知れないが)初めて理解できたような気がすることがある。
当時の自分を客観視できるようになったということかどうか、にわかには言えないが、子どもには見えない「感情」や「関係性」といったようなものが、年を経て、理解できるようになったこともあるだろう。ในทางกลับกัน、子どもでしか感じられなかったことも、たくさん抜け落ちてしまっているに違いない。それが年月というものか。
見えるはずもない当時の自分自身を、一枚の写真のように鮮明に見ることができるのも、長い絵画の訓練のたまもの。これもまた年月か。
あとひと月もしないうちにお盆が来る。特別な思い出というものはないが、「お盆用の棚を作れ」と両親に言われ、弟と二人で、隣のお墓に作られた盆棚を真似て、それぞれに込められた意味も解らないままに作っていたことを思い出す。弟は毎年、今でもそうやって同じように作っている。
飾り用の鬼灯は、ちょっとだけ贅沢品でもあり、ハマナスの赤く熟した実を、鬼灯の代わりに紐で吊り下げたりした。他愛のないことを思いだすものだ。