A G T (America’s Got Talent)

Kamome (CG)

最近たまにYouTube でAGT(America’s Got Talentアメリカの新人発掘番組始まりは英国の「UK got Talent」)を見るそこでは「天才」というのはやっぱりいるんだなあと感心する登場する人は歌手が多いけれど「音楽の分からない人」を自認する私にさえ「この人は持っているモノが違う」と感じさせるそれが「天才」というものなのだろうか

凡人には努力環境遺伝 etcどれも必要なもののように感じられるが「やっぱり天から授かった才能!」は別世界のものなのだと思わせるそれが「天才」共通しているのは「自分自身に対する『絶対的な』信頼」そしてもう一つ「自分を認めてくれる場所へ行く」行動力さらに冷静ともいえる「謙虚さ」天才はなぜか奢らないそれが新鮮な発見それも魅力

天才はよく高い山に喩えられる高い山からはそれ以下の山の頂やそれぞれの特徴がよく見える麓にいたのではどの頂が高いのかよく分からないもちろん麓が凡人である-この喩えは頂の高さだけでなく麓の重要さをも暗に伝えている天才を支える「麓」の重要性であるそれをファンと呼ぶのかもしれないがとにかくそういう人々が天才を「天才」にする舞台を作るのは天才の仕事ではなくファンの力なのだとこの番組を見て思う

一方で天才とは野生の蘭のようなものかなとも感じる蘭は植物の中では一種の敗残種競争に負け少ない栄養と厳しい環境で生きていくことを選択した生命だ目立たない薄暗がりが彼(女)らの場所愛でる人は少なくないが育てるのは難しくたくさんの栄養と光の中で大木になることもないふとなぜかエディット・ピアフを想う

ウォーキングのゴールは?

女性の習作(CG)

昨年11月後半からウォーキングを始めたことはすでに書きましたせいぜい三日坊主と自分でも半分くらいは思っていましたが(なんと!)今も続いています。어쩌면、わたしはもともと飽きっぽくない性分だと思っていますがコロナもあってほかにやることがなくなってきたことも続いている理由でしょう

ちょうど2ヶ月経った時点でのウォーキングの結果です 体重-1㎏の目標に対して-4㎏達成率400%?腹囲は測ってないがベルトの穴が2つは違うから効果はあったと思いますほぼ毎日10000~12000歩(7~8㎞)を目標に歩きました歩かない日が1日ありその日は380歩のみ天候が悪かったからですが歩こうと意識しないとこんな生活です
 オマケ①足腰がしっかりしてきた実感 ②腰痛の湿布をほとんど使わなくなった ③食事についての基礎知識仕入 ④遠くを見ながら歩くので(早朝ウォーキングは止めた)眼にも良いような・・・です

하지만、問題はむしろここから目標は早々と達成なので続けるつもりならそのための「目的」が必要になってしまいました歩くこと自体も嫌いではないが続けるにはもっと美しい風景が必要だダイエット自体が目的ではないとすると「健康」?でももともとさほど健康志向でもないのでそれではたぶんモチベーションが続かないうーむ問題が本質化してきたぞオマケもずっと同じオマケじゃ物足りなくなるのは人の常これも問題が深いぞ誰ぞよい知恵を

CG:コンピューター・グラフィックス

すわる女性 CG

上の絵は写真をもとにペンブラシというソフトで描いたイラストなどを描く人の誰もがやる初歩中の初歩のCG誰でもやるが誰が描いてもおなじになるわけでもないたとえば写真の上にトレーシングペーパーを置きその上から鉛筆でなぞるというだけの単純作業でも十人十色のなぞり方をするようなもの

「コンピューター・グラフィックスなど誰がやっても同じ結果になり個性を発揮できずつまらない」と以前は考えていたが今は違う同じメーカーの鉛筆を使ったからといって誰でもアングルやピカソのようなデッサンができるわけではないCGは道具の一つに過ぎない使い方にもむしろ「個性が出てしまう」

一方でコンピューターは鉛筆とか毛筆とかの画材の違いというレベルにとどまらない別次元の道具でもある自動車の普及が私たちの生活を変え日々の考え方にまで大きな影響を与えてきたようにCGを経験することがわたしの思考法だけでなく感性にも(いいかどうかは別にして)大きな影響をあたえ(てい)るのは間違いない

その影響で自分がどう変われるのか楽しみながらCGを描いているこのような絵や動画制作・編集その前提となるカメラやパソコンそのものの基本知識どれをとっても難しいし考えるだけでも億劫だ何十回も同じ間違いを繰り返すどころか時にはすっかり忘れてしまう誰のせいにもできないから「お前が難しすぎる」とパソコンに当たり散らしながらとりあえずこの瞬間もパソコンに向かっている