조용하다

요 전날、햇빛에 갔다.。생각보다 단풍이 진행되지 않고、단풍 사냥은 다음 주에도 늦을까요?、라는 느낌이었지만、이번 여름과 가을의 더위、따뜻함 때문에 단풍 등 위쪽 잎이 시들어 탈색한 것도 많이 보였다。예년과 같은 생생한 단풍이 될 것 같습니다.。

추젠지 호반의 활기찬、광덕목장까지 다리를 뻗으면 인영은 계속 드문드문。목장을 내려다 보는 고대에 오면、더 이상 아무도 사람이 없다.。여기에서는 더 이상 소를 기르지 않은 것은 울타리가 깨지는 방법을 보면 일목요연 (조금 아래쪽에서는 몇 년 만에 기르게 된 것 같습니다.、거기에는 가로장이 아주 새롭지만 소는 없었다)。그래도、잔디가 보이지 않는다는 것은、누군가가 잔디를 깎고 있다는 것입니다.。

목초가 잔디 정도의 길이로 자랍니다.、흙이 거기에 부드럽게 들여다。그것과 주위를 둘러싸는 대나무와 나무。그들이 소리를 흡수 할 것입니다.。마치 방음실에 있는 것 같은 평온함。부드럽게 떨어지는 나무 잎 한 장 한 장의 소리가 잘 들린다.。낙엽을 밟는 소리가 기분 좋다。

지금은 시골과 도시의 하마마 같은 곳에 살게 되어 버렸지만、거기서 이런 고요함은 비록 한밤중에도 맛볼 수 없다.。나는 시골 사람이기 때문에、매일 사람의 얼굴을 보거나 볼 수있는 삶은、솔직히 말해서 조금 우울하다.。혼자있는 것은 어린 시절부터 좋아합니다.、약간의 불편함에 익숙해질 것입니다.。이렇게 활기차고 많은 식물、동물이 있다면 외롭다고 생각하지 않을 것입니다.、그들을 관찰하거나、스케치하는 것만으로도 분명 바쁘다.。무엇보다、도시의 활기찬 소음보다、이 "럭셔리한 평온함"을 얻는 것이 나에게 더 풍부하다고 생각합니다.。도시에는 내가 정말로 원하는 것이 없다.。

選挙と暴挙

時には想像でスケッチしよう

中央アジアのジョージアで先日国会議員の選挙があったたまたま日本も一昨日衆議院(議員)選挙があり自公が大幅に後退したばかりなのでついでにでもちょっと目を向けて見たらどうかなと記事にしました日本の選挙結果は概ね予想通りの結果になったようですが、나는、ジョージアの選挙結果も衆議院(議員)選挙と同じくらいの関心を持って見ていました

「なんでジョージアやねん?」そもそもジョージアという国が地球上のどこにあるか日本人の中には知らない人もいるかもしれません。꼭、スマホで地図を見て頂きたいと思いますワイン好きの人などは知っているかもしれませんがニュースにも滅多に出てこないし出てもほぼロシア関連ですからそちらの方に注意力が向くのもある意味仕方ありません

ジョージアウクライナそしてモルドバいまウクライナ戦争が黒海周辺を発端に行われていますがこの3国は黒海に面して繋がっていますそのジョージアの国政選挙(定数150)で親ロシア派の議員が多くを占めました大統領(ちなみに女性です)自身がこの結果を認めず(与党ではなく!)野党と一体になって「国民的なデモ」を呼びかける事態になっていますロシアが絡むと必ずと言っていいほど起きる「違法投票」「選挙結果の改ざん」ということですどういうことなんでしょうか?

少しだけ歴史を調べ少しだけ想像力を働かせば容易に答えにたどり着く事ができるでしょう。하지만、今はそれを書く気持ちが起きません

遠近法の本質

ピンクの花と蘭のスケッチ

遠近法と言えば「透視図法」をすぐ思い浮かべ「あぁ苦手なんだよなー」と思った方「透視図法は一応マスターしている」と思った方がっかりする必要もありませんしそれで十分だとも思えません

遠近法はどうしてできたんでしょう?―遠近感距離感を表現したかったからですよね。하지만、なぜそんなものを表現したいんでしょうね?―それは好きなものと嫌いなものを区別表現するためだとわたしは思うんです

「ママが大好き」な子どもはお母さんを(お父さんより)大きく描きますそれが正直な距離感だから大好きなママに子どもはいつもくっついています間近で見るママは時には自分を覆い隠すほど大きな「物体」ですお父さんも優しいけどママと同じというわけにはいきませんなので少し離れ少し小さく見えています剃り残しの髭が見えるくらいの距離感でね
 子どもの絵を見ると距離感の違いは明解に表現されていますこれが「遠近法」の本質だとわたしはだんだん考えるようになってきました

わたしがあなたを好きか嫌いかこの味が好きか嫌いかこの服が着たいか着たくないかそれは視点の裏返しでもあります子どもから見て大人が自分を好きか嫌いかは子どもの生存に関わる大問題ヒトは生まれた時からそうやって自分以外のヒトやモノとの距離を測り自分だけのメジャーを作ってきたんですよねそれが遠近法の原点
 ヒトやモノとの距離感はそんなふうに一人一人固有のものとして積み重ねられていきますでもそれだけじゃあ話が具体的に伝わらないから共通のツールが必要だろうねって生み出されたのがたとえばメートル法などの距離の単位だったりちょっと跳んで「透視図法」なのではないかとわたしは想像します
 あなたの心の中にあなた自身の「遠近法」があるのをわたしは知っていますそれを見せてくださいね