身体というフィルター

Sikuweza kusaidia lakini fikiria、ポカンと口を開けてしまったそこにわたしのやったことが書いてあったからちょっと長いが引用する―「たとえばリンゴと言えば赤くて丸い果実のことですよねもうガチガチに辞書的な意味が固まっていて亀裂などないだけど詩人は言葉と意味の束縛を解いてまったく違う意味を見つけますリンゴを割った断面を崖の斜面に見立てたり・・・」―まるでわたしが崖とリンゴ(今のAppleシリーズにつながる)を結び付けた瞬間を見ていたかのようだ

今朝読んだ朝日新聞デジタルでの連載「AIと私たち」の中で郡司ペギオ幸夫氏が述べたこと(ちなみにペギオはペンギンが好きだからなんだと)。lakini、次の瞬間別のことも考えた「例に出すってことは誰にも分かりやすいってことなんだな」飛んでる発想ではなくてちょっと横に一歩足を出してみただけってことかと。Kwa kweli、わたし自身もその程度だなとは当時も今も思っているけどね

こうも言っている「AIそれ自体よりAIによって世界がすべて理解できると思いこんでしまう人が増えていることが怖いですね(少し短くしています)」解剖学者の養老孟子氏が「AIはバカの壁を越えられない身体を馬鹿にするなと言いたいね」と述べていることにもつながっている

「何を描くか」の発想を考えるとき(今はあまりしないが)まず詩集を手に取ってイメージの湧きそうな言葉を拾い出すことから始めていた詩の内容はあまり深く理解できなかった気はするが言葉から発想空想を広げられるかどうかにはわたし自身の経験が重なることが必要だった「身体というフィルター」を通して言葉と意味を行き来させるかぎりそこには鮮やかな(個別の)ディティールが浮かび上がる小さな突起で腕を擦りむいた―そんな身体性が作品を支えていたんだなあAIが作る画像の空虚さがまさにそのことを裏返しに示しているのだと思う

“適当な” 絵・自由な絵

「向こう向きのデコイとフジツボ」水彩 2024.01.11

久しぶりに自由なモチーフで“適当に” 描いてみた。Kwa muda sasa、YouTube用の水彩か出品用の作品しか描いていなかったような気がするこういう「描いてみただけ」というのが本当は楽しいんだよね

うまく描いて当たり前とかうまく描かないと恥ずかしいなんて思いこんでいるとろくなことはない楽しくないどころかストレスだ。kuchora picha ni、本当は「ストレス解消」であってほしい多くの画家たちにとって半分はストレス解消になっているはずだが半分はストレスにもなっているはずだなんにしても“ねばならぬ” はよくない

ある量を所要時間で割れば単位時間当たりの「時間効率」が出る一日に3枚絵を描けば、1枚しか描けない日の、3倍効率がいいことになりそうだがそれがバカバカしい計算であることは子どもでも分かる一枚一枚の絵(の価値または意味)はそれぞれに異なっていてそれを測る基準・指標もまた個人的なものだから

kuchora picha ni、juu ya mawazo ya pili、どこかで子どもに還ることじゃないだろうかそれが心のふるさとではないのかな世の中ますます生きづらくなっている自殺する人も増えている。ajali、災害も多いそのうえ至る所で戦争まで起こしやがって。kuchora picha ni、平和だ平和になることだ。Zaidi、(少しの間でも)自由にもなれる“適当に” 絵を描こうよ

ndoto ya kwanza

Kwa kweli、nje ya picha hii。Ni nzuri katikati ya mahali

Kile ambacho watu huona kuwa kizuri (sio lazima vitu) labda ni tofauti kwa kila mtu.、Hiyo pia ni muhimu。hata ndani ya mtu yule yule、Katika kipindi cha ukuaji na mchakato wa kuimarisha roho,、Lengo lazima pia kubadilika。na、wengi wamesahaulika、kupotea。Uzuri ni wa kupita。

Nilikuwa nikifikiria katika ndoto yangu ya kwanza。mimi mwenyewe、Unafikiri ni kitu gani kizuri kweli?、na。Sio hivyo pia、Ninachagua kutokuwa na hii.、Ghafla niliwaza, ``Labda ni theluji.''。
Kwa mtazamo wa nyuma、Nilianza kuchora picha za theluji kwenye Siku ya Mwaka Mpya.、Niliwazia kwamba lazima ilionekana katika ndoto.、Kabla ya hapo、Ninajiuliza ikiwa nimekuwa nikitupa vitu vingi vya kupendeza kutoka kwangu.、Nakumbuka pia nilijawa na mawazo ya huzuni.。
Kutoka ndani ya sanduku la kumbukumbu、Kwa hisia ya hofu、Ninatoa "uzuri" ambao nimepoteza mmoja baada ya mwingine (wote ni、Ninacheka jinsi ilivyo tambarare, kama picha kwenye karatasi.)。na、Nini ghafla kilionekana kwenye kiganja changu、Ilikuwa theluji iliyokwama kwa mawe madogo.。Katika msitu ninaoupenda、Nilikuwa nikisugua vidole vyangu dhidi ya theluji iliyoganda nusu.。

Hiyo ni kweli、Rangi ya theluji haikuwa nyeupe。Rangi ya jiwe hatua kwa hatua inakuwa wazi、maporomoko、Na rangi ni kama mashavu ya mtoto yaliyopigwa na upepo.、Pia kuna fuwele moja au mbili ndogo zinazofanana na sindano zimesimama juu yake.。milele、Natamani ningechora tu、Nilikuwa nikifikiria hili hata baada ya kuamka.。