ホトケノザ
オオイヌノフグリ
羽化-ペン

今日は23度まで気温が上がった春というより初夏に近いような日差しで持って行った帽子サングラスが役に立ったTシャツでウォーキングジーンズが汗で脚にまとわりつくような感じがした。3日連続のウォーキング小さな土手を挟んだ川の向こうでは少年野球の練習試合?が2組昨日も2組やっていた駐車場は親などの関係者の車で一杯近くの小学校のグラウンドでも別の子どもたちが練習をやるなど絶好の野球日和だったようだ

市営の釣り堀では小学生がデビューしたらしくまわりに常連の爺さん婆さんが集まった真ん中でヘラブナの竿を下げている珍しいこと長閑なものだ足元にはホトケノザがだいぶ前から(ホトケノザを真近にみると結構変わったかたちの花ですまたその名の由来も納得できますよ)咲いている最近は青く可憐なオオイヌノフグリハコベが増えてきたベニシジミはもうとっくに見たが今日はモンシロチョウも飛んでいた春だなあ桜はまだかいな

壊して作り直す

      「満月夜」 ミクストメディア F4


 「見立て」という語がある一本の突き立てた人差し指をエッフェル塔に「見立て」たり丸い顔を月に見立てたり(あるいはその逆も)するアレのこと日本のプーチンとか日本のトランプとかマスコミが使いたがるあの感覚象徴とか比喩とかにも近いがもっと視覚的で直感的だろうか

この絵では青いリンゴを満月に最も実に近い部分の葉を何かがそこから羽化するその羽根に見立てている(「絵」を説明しちゃったなー最悪!)「見立て」は見る側との「意味の共有」がなくては成立しない (文化的)手法であるから必然的に鑑賞者に対して最低限そこまでの想像力を要求することになる
ตัวอย่างเช่น、月と芒(ススキ)を描けばそれは「秋のことだな」との「季節感覚」を要求する鑑賞者が日本人だけならそれも共有できる可能性はあるが一年中砂漠とかススキなど見たことないという地域の人にそんなこと言っても通じると考える方にむしろ無理がある

この場合はどう?作者はAppleのつもりで描いているが他の果物に見えたとしてもべつに問題はない問題は葉っぱが出るタイミングがAppleが「果実」である時期とそれが腐り栄養になって次の双葉が出るまでの「時間差を省略」していることを鑑賞者が容認できるかどうかに賭けていることにある鑑賞者の心理も「見立てて」いかなくてはならないってわけですね

現代の(陸上競技の)ハイ・ジャンパーは見る側(カメラ)にもそれにふさわしい高さで見ることを求めているわたしもそうありたいと思いつつ残念ながらこの絵ではそもそも作品のジャンプ力が足りず説明的でそのうえ迎合的だった。กล่าวอีกนัยหนึ่ง、つまらないジャンプだということ
 この絵にもう一度ジャンプ力を与えるチャンスは無いのか・・もう一度壊してから作り直すそれが一番早いし、นั่นเป็นทางเลือกเดียว。

ฝนตก

"เกิดขึ้นใหม่" (ภายใต้การผลิต) สื่อผสม F4

เช้านี้ฝนตก。มันอาจหิมะในพื้นที่ธรรมดาคันโตหลังจากนี้、และการพยากรณ์อากาศ。แห้งตลอดเวลา、หากไม่ใช่หิมะตกก็น่าจะเป็น "ฝนที่พลาด" นิดหน่อย。พุ่มไม้ในเมือง Ofunato, จังหวัด iwate、3ตั้งแต่เวลา 8.00 น. ในวันที่ 3 ของเดือน (มันคือ Hinamatsuri หรือไม่) ดูเหมือนว่ามันยังไม่สงบลงดังนั้นฉันหวังว่ามันจะตกอยู่ที่นั่นด้วย。

คุณจะเห็นว่าตาค่อยๆขยายตัว。คุณสามารถรู้สึกถึงกิ่งก้านของต้นไม้ในสวนสาธารณะที่มีชีวิตชีวาแม้จากระยะไกล。มันคือฤดูใบไม้ผลิ。โลกยังคงหมุนอยู่ในปัจจุบัน。