無芸・無趣味の親

    制作中

誰も住んでいない実家の両親の部屋を片付けている処分ではなく単なる整理整頓大正13年生まれ元気過ぎる父は突然のくも膜下出血が原因で既に亡くなった昭和元年(一週間もない)生まれの母がこのまま亡くなったとしても処分に困らない

価値のあるものが一つもないからだモノは溢れるほどあり足の踏み場も無いほどなのに(そこで暮らしてないからなおのこと)趣味のものや生き方にこだわるようなものは何一つない。無芸・無趣味。溢れているのはただ雑多な衣類だけその衣類にも色などのこだわりもまったく見出せない必要なものだけ量だけすべて焼却処分する以上の意味を見出せない

「ただ生きてきただけ」といえばあまりに酷な言い方だと思うがそんな感じ確かに時代のせいもあろう戦争に行き昭和生まれの私たち子どもにに食べさせ明治生まれの彼ら自身の両親を養い大勢の兄弟たちばかりかその家族の世話までして肉体も時間もお金も精神も使い果たしてそのうえ趣味を持てと言われてもそんな余裕があったなどとは思えないもし「余分な」趣味があったとしてもそれを周囲に納得させるための戦いにさらに膨大なエネルギーを必要としただろうそれを現代と同等に求めるのは彼らに対して残酷に過ぎる要するに今が豊かな時代になったということだ

父は高等小学校母は小学校(当時は国民学校)卒だけだが今の常識に照らしても二人とも「おバカな夫婦」ではなかった特に母は家庭さえ許せば向学心に燃えていたし自分がもっと勉強したかった想いをポロポロと雫がこぼれるように幼い私に降りかけた(と思う)

それなのに「何のために生きているのか」「自分というものをどう考えるのか」と浅はかな学生身分の私は親に「詰問」したそれは両親への問いというより私自身の歴史の無理解による単に無慈悲な「指弾」だったなぜ彼らの人生が目の前の「捨てても構わないボロ切れ」と化したのか当時の私は無邪気というよりそのような想像力もなく何も考えていなかった私が死を迎える時息子が私の生き方をどう見るか息子は私のような馬鹿ではないが私は何だか両親と結局同じ無芸・無趣味な人で終わるような気がしている

母の名前

「飛ぶ男」(制作中)

Il y a un mot à dire que « les gens de cent de la maison. »。Pas à la maison à Shimokita、le d。

Les cent、Aussi à certains que le nom commercial est entré、Chef de famille (ou les vieux jours si le patriarche) et il y a aussi le nom de sa femme、Le nom d'un grand nombre d'enfants si les enfants les uns des autres。spécifiques « Taro Chanchi » mots est、La même chose en Shimokita。juste、Qu'il sera utilisé même si parfois au-delà de l'âge、Il est inhabituel。Mayumie = mais origine Mayumi connaissait、« Mayumi » Do est de qui、Je ne savais même pas à ce moment-là、Est-ce une surprise est-il appelé donc ce moment-là, même 50 ans après plus maintenant。presque、Nous avons été le nom commercial de。

Appelez une maison avec le nom de la personne、Parce qu'il est souvent le même nom de famille de la maison。Je suis né dans les colonies (environ 150 ménages)、Un par près de la moitié de la phase intra (Rina) et Sakamoto。À côté du village (400 ménages au sujet de) l'Iseda est de 40%、Higashida est d'environ 30%。Ne peut pas être distingué de cette façon vient le nom de famille、人の名前で呼ぶ必要が生まれる

Si Takichi de la maison、Euphonique dans le vent qui Takichinoie → Tagije、dialecte de。Parce que le père de la phase intra-Chogoro de la mère、La famille avait été appelée papillon Neue Goro → Chogoroie → Chogore。Mère est appelée la « fille aînée de Chogore »、Personne appelé, comme nom autre que la famille。Chogore est de loin les pêcheurs dans la région、Ma mère avait une grande fierté d'être membre de Chogore。

famille、Mais il dit Maki parents、Aussi appelé Maki qui aiment comme la personnalité et les loisirs、Je n'étais pas Chogore directe、Il semblait semblait être éthique du pêcheur quelque part、Il est un « Maki de Chogore »、La mère était aussi un vent qui était un peu heureux avec elle。

ボウズウニと呼んでくれ

今日は下北もかなり暑いお昼前に24°だったから最高気温は26°にはなったと思われる昨日突然漁協から今日(13日)ウニの解禁をするという放送があった

今年は海が荒れ、7月に1回しか解禁していないというすると、7月18日に送って貰ったウニはその時のだったのだろう(7/18「ウニ食べました」、7/19「ウニの歯」)通常なら7月後半から8月半ばにウニは産卵期に入る資源保護の観点からいえばこの時期にウニを採るのは自殺行為に等しいそれでも解禁するのはお盆で帰ってくる息子娘たちにお土産としてウニを持たせてやりたいという親たちの圧力が強いということなのだろう

お盆準備でたまたま知人宅へ寄ったらちょうど海から帰ってきたところだった採りたてのウニを少しだけ貰ってきた(写真)黒く見えるムラサキウニの隣は浅瀬に生息する棘の短いバフンウニ地元では馬糞などと汚い呼び方はせず坊主頭の意でボウズウニと呼ぶムラサキウニより味がきりっと締まり微妙でずっと美味しいが市場で見かけることは滅多にない

このウニは子どもや潜れない女性でも十分に採れるので漁協に対するお母さんたちの解禁圧力は相当なものだったろうボウズウニとムラサキウニを適当にミックスして食べるのが至極水分を取って塩蔵したウニも絶品である