アップロードしました

今日は偶数日ですが久しぶりにアップロードしたので臨時にブログします最近はアップの頻度も少ないしパターンも限られているせいか視聴数も全然伸びなくなりました過去の今より下手くそなビデオの方が視聴数多いのはなぜなのか反省する必要があるかもしれません

視聴数が伸びない中ではチャンネル登録をする人が意外に多い気がしています有名YouTuber の一日50人とか100人とかに較べるとものの数ではないかも知れませんがほぼ毎日1人というのは自分としては?と思うほど多く感じます

製作数はまだ100本にも程遠い。100本までは初心者といわれるなか実際に自分でもまだまだ初心者の自覚はあります特に最近は作ること自体に虚無感を感じることが多くなりそれを振り払う気力の方が不足がちです視聴数とか登録者数などなるべくそうした数字に捉われず一本ずつ丁寧に反省を取り入れながら製作していこうと気持ちを新たにしたところです今日は「手の練習」を撮影する予定

Què fer、què no has fet

顔の習作 ちょっとだけデフォルメ

長生きしすぎちゃったんだなあ、crec que。30代の頃は、60歳以降のことなど考えていなかったあえて意識はしなかったけれどそこで燃え尽きていいと考えていた

però、燃え尽きるほどの努力もしなかった怠けものだから目の前のことだけとにかく片づけてダラダラと過ごしてきてしまった今年も年末になってしまったが何をやってきたかと考えることがつらいほど何もやっていないこんな状態をいつまで続ける続けるつもりなんだろうか

日曜日ついそんなことしか頭に浮かばなくなってしまう

Mira'm

「手の習作2」水彩 もう少しきれいな手にしたかったかな

「見てくれの良さ」の「見てくれ」見てくださいという意味ではありません念のためでもまあもとの意味は同じことだろうと想像はつく要は「うわべ」ってことですよね

目を惹くものには何かしら新しい何かがあるそれ自体が新しいものでなくても演出が新しいとか久しぶりで新鮮に感じるとか何かがあるそれを見る側が発見するのではなく「ホラ新しいだろ?」とばかりにいささか押しつけがましいのが「見てくれ」の正体なんだろうと思う

ネット上の情報つまりビジネス情報は99.9%「見てくれ」であると思っている情報はネット上にすべてがあるわけではないのにいつのまにか情報=ネット上という錯覚が起きるほどに逆に言えばスマホ上にないものは情報と認知されないようにさえなっているように見える。Tan、詳しくは分からないが何かを検索するというときほとんどの人はまずスマホでインターネットを検索するに違いないとなれば配信する側(多くはビジネス目的)はまずその小さな画面の中で目立たなくてはいけない「見てくれ」が悪ければその時点で負けなのだから

見てくれだけでない誰かにとって本当に中身のある情報は発信側も受信側もそれを吟味する時間と知識とその他もろもろの努力が要るつまりつまりそういうわけで本当に自分が欲しい情報は結局自分の五感で拾い出すしかないのだろう昔は自然に手に入った情報が皮肉なことにこの情報の渦の中で自ら頑張らないと手に入らないということを時々実感するそしてそれは生成AIの登場でますます困難になっていくに違いない人は様々な意味ですでにコンピューターの僕(しもべ)である生成AIがそれを絶対的なものにしてしまう未来しか今のところ想像できずにいる