「クジラのようなもの」を喰う-3

ついでに子どもたちのことをまとめて言うとこの子たちはどうもひとつの血縁関係にあるようだよく見る古い既に茶色がかった白黒の「家族写真」に似ている子どもの数が今よりずっと多かった昔のどこかの家族のその家族が私と何か関わりがあるのか今のところ自分にも判らない

彼らはいつも同じ順番で、Ndio、まるで一枚の写真のように身動きもせずに私に「使命」を言い渡したのだった(らしい)

本題に戻る悪戦苦闘したあげく口を泥だらけにしながらついに私は一片の「クジラの…」を齧りとり何とか強引に呑み込んだあとは元あったようにそこに放り出し使命の完遂を告げるべく口に泥をつけたまま母屋に向かって歩き出した

もう少しだけ続きそうです

 

「クジラのようなもの」を喰う-2

今日もとりあえず練習

「…のようなモノ」はちょうど少し大きめの魚の切り身のようなかたちで色はほぼ黒。Ndio、房総などで売っている「クジラの…」何とかいうあれに近いが中心部はもう少し厚い一見ごく素朴な蒸しパンのようで簡単に喰いちぎれそうに見えたが

他にもキノコを細く切ったようなものが入っているがナメクジと区別がつかずこっそり捨てる何しろそのお弁当は庭の隅にいつから置いて(捨てられて?)あるのか判らないほどで半分 は泥が入り込んでいるのだ

いくら使命とはいえ(この使命を下したのは十数人の子供たちで幼稚園児から大学生位までと年齢も男女も混じっているその子たちの関係は判らないみな知らない子ばかりだ)腹痛なんかで死んではたまらないからこっそり捨てたのはやむを得ないだいいち「クジラの…」を食えというのが使命であってキノコではないし

この夢明日につづく長くなりそうだがご勘弁

 

絵画教室の人々ー5

「休憩時間(部分)」水彩
「休憩時間(部分)」水彩

※これは架空のお話です

一度教室をやめてまた戻ってきました

特にやめる理由も無かったようにはっきりした理由があって戻ったわけでもありません強いて言うならクラスの人に戻って来なよと誘われた(再勧誘?)からですが理由になりませんよね

教室には10年間通いましたほぼ無欠席結構大きな絵も描いたんですよ。lakini、コンクールなどには出しませんでした先生も特に出せとも言わなかったし自分としては少しは出したい気もありましたが積極的でもなかったいえそれが不満だったんじゃありません。lakini、なんとなく少しずつ風船から空気が抜けていくようにすうっと気持ちがなくなったんです

体力はありますよ元気元気教室をやめても絵を描く気持ちはあったんですがここがなあとか言われないと張り合いがないというか。10年間の惰性なんでしょうか

絵を描かないとアイデアが浮かぶ描いてる時は目の前の処理で手一杯考えられないんですよね。katika、アイデアが浮かぶと描きたくなる描き始めるとできないところダメなところが案外すぐ分かっちゃうんですよ、Hata mimi mwenyewe。lakini、どうしたらいいかが分からないそれを放っておけないんですよね性格っていうのか

だから戻って来たってわけじゃないんですよなんとなくね。lakini、今度はコンクール出してみようかなと思ってます入選とか賞とかの欲があるわけじゃないけどちょっと頑張ってみようかなと。lakini、入選したら案外もっと上の欲が出てくるかもハハハ