El blog personal de Takashi.。No sólo se trata de pinturas、Lo que pienso todos los días、que sientes、escribo lo que se me ocurre。Este blog es la tercera generación.。Desde el principio han pasado más de 20 años.。
2023Desde el 1 de enero、Por ahora, decidí escribir sólo en los días impares.。Voy a pensar en mi dirección futura y otras cosas pieza por pieza.。
iPadにもだいぶ慣れてきたし、製品そのものの性能向上もすごいと思うけれど、現段階ではまだ実際の鉛筆には追いつけないと感じる。これまで紙のスケッチブックにたくさん描いてきた。そのほとんどは段ボールなどの中で眠っている。pero、そのスケッチや絵をDMやポストカードに使おうとするとかなり大変。作品選びで部屋中が一杯になり、選択したあとも整理や片づけに、時間もかかるが体力も遣う。さらに撮影にもそれに劣らない時間が要る。せっかくの作品を様々なかたちで世に出したくても、その面倒さを考えるとつい億劫になってしまう。Con eso en mente、動画でも写真ででも、なるべく制作時に撮影とそのデータ化を同時にすることの必要性を強く感じる。
政治家が好んで取り上げる「文化」といえばせいぜいスポーツ。「東京オリンピック2020(事実は2021年)」期間中、某総理大臣がわざわざ官邸に記者を呼んで、金メダリストにお祝いの電話をかけるパフォーマンスを繰り返した。これを見て多くの日本人は、自分の股間を人前で何の羞恥心もなくさらけ出しているような、いわば21世紀の日本がまだサル(猿)の社会のままであるかのような精神的屈辱を味わわされたのではないだろうか。al menos yo、ニュース画像中の得々とした彼の顔に、サル(猿)のマスクを重ねないでは正視出来なかった。新首相はまだマシかと一瞬思ったが、もう忘れかけていた「アベノマスク」の「生地の新調」に過ぎなかったので、やはり「アベスガサル芝居・第二幕」の幕開けだったのか、と腑に落ちた。
人はなぜ歌うのか。それは人はなぜ絵を描くのか、人はなぜ学問をするのか、と同じ問いだ。世界がどうあれ、日本の政治がどうあれ、わたしたちは若い人も、老人も、とりあえずは「明日も明後日もあるものとして」生きていく。no sé sobre mañana、pero、明後日のことなら歌ってみたい。―――歌は自ずから・・・と書きかけたが、せめて明後日のために―寂しい口笛になってしまった。