금추·화엄의 폭포

「니시키아키・화엄의 폭포」수채 F4、면 종이

어제 올려야했던 블로그 용 수채화。밤 11시 조금 전부터 블로그를 쓰기 시작했지만、아무래도 졸려、키보드가 잘못 타격、생각도 집중할 수 없기 때문에、끝나지 않고 자고있었습니다.。

스케치는、꽤 오래된、아직 아이가 초등학생 때、햇빛에 데려갔을 때의 사진을 바탕으로 그린 ​​것입니다.。폭포는 오른쪽 상단에서 중앙 아래쪽으로 떨어집니다.。강이 타키구치 주변을 위에서 굴러 와서、검은 바위에서 떨어집니다.。언뜻 보면 왼쪽에서 오른쪽으로 떨어지는 것처럼 보입니다.、그렇지 않다。

단풍 풍경은 곳곳에서 볼 수 있지만、그리면 의외로 어렵다고 생각했습니다.。이런 식으로 전산 단풍이라고 하는 경우、어지럽히면 빨간색과 노란색을 바르고 싶어집니다.。앞의 단풍과 계속 안쪽의 나무의 단풍이 같은 색이므로 거리감도 얇고、각 나무와 잎은 작기 때문에、하나씩、한 장씩 그릴 수는 없기 때문입니다.。

여기서 나무와 잎을 그리는 것은 사사와 포기합니다.、미묘한 밝기의 차이 (앞에는 종이의 흰색이 남아 있습니다.、안쪽은 녹색과 빨강의 겹침을 많이한다)、시각적 밀도감(멀리 작고 혼잡해、앞은 넓게 크고)、공간을 표현하려고 시도했지만、어때?。
가을뿐만 아니라、최근에는 어디로 나가는 것도 억명이 되어 버렸습니다。추운 것도 스케치도、좋아하는 것을 좋아하지만、도구를 생각해 보면 귀찮아집니다.。하지만、가능한 한、맛있는 공기를 피우는 곳에 가고 싶습니다.。

세계는 '돈' 이외의 가치를 발견할 수 없다?

2023.11.07 東京・日本橋にて

今朝はかなりの雨だった今日は3つの展覧会を回る予定でしかも今日しか行ける日がない。10時頃には上がる予報だったので家を出たがまだぽつぽつ残り雨が落ちていた駅のホームで電車を待っていたらまた音を立てて降ってきた

日中の東京は暑かった日比谷線上野駅から東京都美術館までの間を歩く間でさえけっこう汗をかいたそれもあってか都美術館までの距離をこれまでよりずっと長く感じた脚力が弱っているんだろうか。3か所を回ろうと気持ちが急いでいたせいか息がなんとなく苦しいのも気になった埋め込んである心臓ペースメーカーの対応機能より歩きのペースが早すぎたのかも

たまに東京に出ると東京は目まぐるしく変貌していることを感じる東京といっても郊外ではそれほど急速には変わらないだろうけれど地価の高い場所ではより利益率の高い用地にすべく土地の所有者は脳の血流を最大限にして金銭的にベストな借り手を探しまくっているに違いない人間なら脳内血圧の高まりすぎをセーブするかもしれないが今どきそんな危険を冒してまで手作業している個人法人などないだろうAIにはそもそも血が通っていないから数秒で “その時点での経営常識としての 「最適解」をたたき出してくれると考えAIに答えを求めているはずだ

하지만、“常識” なんて当てになるものじゃない人間の「常識」は個人個人によって違うものだしAIが得意なのは『「確率」的に導いた答えを瞬時に引き出せる』ことであって個々のケースに最適にマッチするという意味では全然ない
 要するに(現段階では)人間が判断放棄丸投げした部分をAIが「仮に」判断して見せるのであって貸し手借り手ともに判断に自信がなければ、100%AIにお任せするしかないということだむろん人間の「自信」も危ういものだということはご承知の通りであるが現代はそういう綱渡り状態で物事が進んでいるが一歩間違えばこの建設中のビルだって廃棄ということがいくらでもあり得るのだそういう例はここ数年でたくさん見ているはずだがなぜか目の前に「金がちらつくと」盲目になってしまうという哀れなDNAを受けついてしまっているようだ

明るい高慢さ

「Apple-丘の眺め」テンペラ  2004年

ポジティブ思考(嗜好かも)が多くの人の深いところに沈潜してことあるごとに顔を出しては人を痛めつけることがあるわたし自身の中にもすっかり入り込んでいて何か落ち込むようなことがあるとつい「元気出さなきゃ」なんて無理してしまう

いつもいつも明るく朗らかで何にでも前向き落ち込むこともなく周りまで明るくする人そんな太陽みたいな人がかつてのテレビや漫画の主人公だったけれどさすがに現代ではそんな間抜けた人間は主人公にはなれなくなった

子どもは大きな夢を持たなくちゃダメだ若い人は高い理想を持って世界に羽ばたかなくちゃいけないショボショボしてちっぽけな自己満足などしているようじゃ(男の)クズだなんて堂々と人前で言う恐ろしい時代があったけれどそういう時代はもう過去のものになったんだろうかそんなの余計なお世話だよって言える時代になっているんだろうかそんなことはないだってわたし自身がそう思っていた時があったし今も心のどこかにそんな気持ちが残っているのが分かる

子どもの頃テレビを見るたびに「どうしてアメリカ(の白)人たちはあんなに明るいんだろう」と不思議だったわたしの周りには誰もそんな人は居なかったがテレビの中では大人も子供も皆活力に満ち自由そうでそしてやたらに誰にでもキスをしていたのだった(そういえば黒人たちのキスシーンは見た記憶がない)
 あの電灯のような明るさと民主主義はどこかで繋がっているそんな気がしていたがそうではなかったあのポジティブな明るさは高慢さそのものでもあったのだウクライナ戦争とイスラエル戦争のアメリカの立ち位置がそれを示している
 負けないように強くなればいいのよケチケチしてないで金持ちになればいいのよ金持ちになれないのは努力が足りないからよそう言って影と日なたを二分してきた人々の国あの明るさに憧れてきたんだなあと今さらに思うよ