

実際の材料を使った制作のための習作(study)を描いている。パソコン上にはたくさんのブラシ(筆)があり、良さそうなものを一つ一つ試しながら使っている。どれほどの数のブラシがあるのか見当もつかないし、果たしてどれが最適なのかも全然分からない。おそらく一生かかっても使いきれないほどの数や使い方があると思う。なんとなく有名なものを試してみる程度しか、今は選択力もない。
描きながら「ふーん、こんなことができるんだ」。ひと昔前、初歩的なペイントソフトを使ってみて、使い物にならないと思ったのがウソのような進化。たとえば油彩ならぬるっとした手応え感や、水彩筆が紙とこすれあったり、じわじわと染みていく生理的な感覚はまだないが、鉛筆ブラシやペンブラシなら既にそうした触感もあるというから、それらがパソコン上で感じられるのも時間の問題だろう(私が知らないだけで、もうできているのかも)。
「英語ができるようになるには、頭が英語脳にならなければならない」と聞いたことがある。日本語で考え、それを英訳しているようではだめだ、という話だった。何か国語も話せる人は、話すときには瞬時に、その言語で考えるように頭が切り替わっているらしい。一種の多重人格のような感じだが、パソコンもそうなのかもしれない、と感じてきた。
水彩絵の具をチューブからパレットに絞り出すとき、頭は、それがいま塗られている絵の具にどう混じりあうか考えている。そして次の瞬間にはそれも忘れて、目の前の状況に反応していく=『水彩脳』。パソコンで水彩絵の具を塗るときはまだ、頭の中で現実の絵の具を想像している。それでは頭の中で英作文してから話すようなもので、かったるい。習作(study)を重ねながら、パソコン脳をStudyしている。