詳しく知っている あさひ 自分が詳しく知っていることを他人に説明する時、いわゆる「上から目線」になって、押しつけてしまうことが多い。反省しても、すぐに忘れて同じことを繰り返す。 もう少し踏み込んで考えると、「詳しく知っている」ことの中身も、そう大した違いはない。tan、押しつける必要など実は何にもないのだった。
感性は、シマウマのお尻 感性とは、究極的にいえば肉体的、精神的な満足感を得ることに直結した「身体全体の統合的なはたらき」。ポイントは、それが計算の結果によるものではなく、「直感的」であること。 直感的とは、結論に至る、その速度が逐次的ではなく反応的であること。途中が殆ど省略されて、いきなり結論あるいは結果が「出ている」こと。知識や感覚や経験の瞬間統合。大事なことは、それが「感性貧しい」誰にもあるということだ。 「シマウマが、尻にライオンの爪を立てられた瞬間」を感覚的に想像できるようなら、感性は決して貧しくない。
感覚は計算結果 遺跡 趣味や芸術のことについて、一つのこと・ものにこだわることが大事だとも、もろ刃の剣だともよく云われる。こだわる、とは簡単に放り投げず、いろんな角度から試行するうちに発見があるという意味であろうし、もろ刃の剣とはそれがいつのまにか執着にかわり、柔軟な見方ができなくなるということだろう。 私たちにできることは、その直感、感覚をどこまで信じるか、だろう。根拠は示せなくても、きっと自分の全身を使って計算しているはず。