「ベゴニアを描く」をアップロード

「ベゴニアを描く」(前編)をアップロードしました後編もご覧くださいと言いつつ編集はこれからなんでも後手後手のわたしです

前回に続きナレーション無しで試しています細々と解説を入れるのがいいのか悪いのかは聞く人によって様々だと思いますが映像があるのですから言葉による解説はやはり必要最小限それもできるだけ耳を使わない方がいいのではないかと考えての試行錯誤です

制作としてはわりに楽しくできました理由は「アドリブが多い」からYouTubeの絵画コンテンツの原則は(勝手に原則なんて言ってますが)「超々初心者向け」に作ることのようです多くの画家たちがYouTubeで初心者向けに役立つコンテンツをたくさん載せていますがそれでも「難しすぎるんですか~?」とか時どき悲鳴をあげていますね(笑)
 そういう人に向かってアドリブなんて解説しようもないのでただ見て頂くしかありません描く側から言えばそれが「絵」であり「絵を描く理由」のようなものですからそれをそのまま見て頂くのが一番本質的だと思うのですがYouTubeはなんでも解説してくれると思いこんでいる人からしたら「不親切」「初心者をほったらかし」という評価になりかねませんいったん「不親切」というレッテルを貼られたらネットは怖いですからなるべくそういうことは避けるようになってしまいますね
 逆に言えば基本は同じでも画家たちは自分の作品を描くときは誰もYouTubeで見せているようには描いていないんですねもっとずっと荒っぽかったりスピードも何倍も速いし見ている人が辛抱できないほどねちねちと描いたりしているはずなんです

大脱線してしまいましたがそんなわけで「青いカモメ」向けの動画になってしまいました

「美しさ」について

ビデオ「カフェのスィートピー」のワンカット(この瞬間が楽しい)

あなたはどんなときどんなものを美しいと感じるのでしょうか?美しさを感じる対象は芸術のようなもの以外たとえば風景のようなものはもちろん人間の顔表情あるいは声そのものだったりモノではなく行為あるいは数学や化学式まであらゆるものが対象になってもなんの不思議もありません多くの人が醜(しゅう・みにくい)と感じる対象のなかに美を感じとるひとだっています

人間以外の動物も「美しさ」を感じたりするのでしょうか鳥の求愛行動や飾り羽などを見るとそういう感覚はあるのかもしれないという気持ちになりますね現生人類とネアンデルタール人はある時期共存していたと言われていますところがその後ネアンデルタール人は絶滅してしまいました彼らの絶滅と現生人類の継続を分けた原因は何だったのでしょうか

それは「美」の概念だったのではないかという仮説があるそうです「美しさ」は多くの人にとって生きていくうえで必ずしも不可欠な概念ではないと考えられています現代では「美に現を抜かし」ているとむしろ生きていけなくさえなりそうですがそれが人類を絶滅から救ったとはどういうことでしょうか
 仮説は「きれいな貝殻の発見」から想起されました。。海からはるかに離れしかも食料的な意味もほとんどない小さくてきれいなだけの貝殻が現生人類の遺跡からはたくさん出土するのに近くにあるネアンデルタール人のそれからはまったく見つからないそれはなぜかというのです
 不要であるのに誰もがある種の「感動」を持つ誰もがそれを味わいたいそれは確かに「美」の概念と言えそうですそれを持つものと持たないものやがてそこに「象徴性」が生まれ「美」を持つものが権威を勝ち取り上下関係となりやがて社会としての構造を作ることにつながったからではないか。이런、それが仮説のおおよその内容です

「生きていくうえで不可欠ではない」?本当でしょうか?仮にいまある「美しさ」について上に述べたことがらの諸々をすべて剝ぎ取るとどういう世界が見えるでしょうかそういまウクライナ戦争で露わにされた世界たとえば激戦地といわれているバフムトの現状がまさにそうではないでしょうかあの風景が「不可欠なもの」を追求した結果なのでしょうか
 「美しさ」と声に出すとき心のどこかにある種の反感というか「世の中きれいごとだけじゃ済まされない」という大きな声も同時に聞こえてきて口にするのをちょっと躊躇してしまいますでもやっぱりそれを求める心を失ったとき人は戦争しか選択することができなくなってしまうそんな気がします美しさを求める心が辛うじて戦争を止めているそんな危うさを感じます「生きていくうえで本当に必要なもの」自分のこころを静かに覗き込む時それがおぼろげに見えてくるような気がしています

전쟁을 하는 사람、동물을 돕는 사람

때때로、동물을 돕는 동영상 보기。도로 어깨에 버려진、영양 실조로 아사 직전의 새끼 고양이이거나、진흙 늪에 빠진 동상이나 사슴이거나、플라스틱 등의 이물질을 삼키고 음식을 섭취할 수 없게 된 뱀이나 거북이、다리에 낚싯줄이 얽혀 물고기를 취할 수 없게 된 갈매기와 맹금류 등、동물의 죽음의 형태도 다양하지만、인간이 원인인 것에 대해서는、인간이 도운 영상을 보면、어딘가 안심하는 것이 있습니다.。

야생 육식 동물은 사냥을하지 않으면 살 수 없습니다.。개 독수리는 매일 1kg의 고기를 먹지 않으면 몸이 약합니다.、비행 힘을 잃고、결국 죽을 수밖에 없다는。정육점에서 조달하도록、그냥 1kg의 고기가 매일 있으면 좋지만、그렇게 할 수없는 것은 야생이라는 환경입니다.。오늘의 1kg의 고기에 붙어 있기 위해서는、비록 상대방이 체중 50㎏의 늑대라도 도전하는 것 외에 사는 길은 없다。늑대도 마찬가지로 배고프다.、1㎏라도 고기를 입지 않으면、내일 우리 몸의 보장 등 아무것도 없다.。바로 쌍방 필사。말 그대로 먹을까 먹을지 싸움이 되는데、이것은 인간적인 의미에서 '싸움'이 아니다.。싸움은 '동종'의 '이권을 둘러싼 싸움'。인간이 보면 얼마나 격렬하든、그것은 "식이"행동 이외의 것이 아니다.。

우리 인간은、야생 육식 동물처럼 매일 먹이를 찾고 걷다.、사냥 중에 먹이인 동물에서 반격、빈사의 중상을 입을 위험을 범하지 않아도、돈만 있으면 1㎏일까 10㎏일까 하고 싶은 만큼의 고기를 손에 넣을 수 있다。인류만이 손에 넣을 수 있었던 「문명」이라는 것 덕분이다。
동물과 인류와의 큰 차이는 「저금·저축」이라고도 잘 알려져 있지만、확실히 그럴지도 생각하는 곳이 있다。(육식) 동물의 일부에는、쿠마야 호랑이와 같은 시체에 잔디와 흙을 뿌리십시오.、다른 동물로부터 숨기고 며칠간의 사냥의 리스크를 낮추는 「비축」적인 행동을 취하는 것도 있다고 한다。가、대체로 거의 다른 동물들과 나눠진다.。다른 동물도、살기에 필사적이기 때문에。

인간만이 전쟁을。전쟁을 하는 이유는 「어떻게 하면 저금・저축」을 보다 크게 할 수 있을까、이다。나만이、더 "풍부하고、안전하게 살기 위해서는 더 큰 축적과、다른 사람을 가능한 멀리 (가능하면 영원히) 쫓는 것이 (본능적으로도) 효과적입니다.、느껴질 것이다。"안보"라는 이름의 줄기 싸움、최종 목표입니다.。
문명에 의해 만들어진 「부(풍부함)」、안전'이라는 이미지、그것을 "발전"시키는 것이 "문화"의 사명입니다.、그 논리 앞에 전쟁이 만들어졌다고 하면、모순일 뿐만 아니라、그 이상으로 미끄러져도。그 "문화"、한편으로 전쟁을 멈추려고하는 그림은、확실히 시비아 문제이지만、부감적으로 보면 자신의 꼬리를 자신이 쫓는 것 같은、바보 바보 같고 슬픈、인류의 종말을 보는 것 같은 기분이 든다。