病院の食事

入院食
入院食

ある日の朝食さっぱり系だがちょっと色があるだけでも楽しい減塩食でも味はしっかりついているご飯は少しボサボサだが病院食だからある程度止むを得ない

ご飯180グラムはかなり多いカロリーの殆どを炭水化物で計算しているようだご飯だけで比べるとこの1回で私の普段のご飯量に匹敵これを3回繰り返すと毎日ご飯だけ食べているような気がしてくる

私は毎朝納豆とヨーグルトは必ず摂ることに決めている納豆はビタミンKを効率よく摂るためご飯は納豆の薬味のような扱いで45gヨーグルトはウィークポイントである胃腸を整えるためこれはたっぷり300gあとは無ければなくてよい夜は適当だが一応考えて食べる基本は糖尿病食私は糖尿病とは無縁だが計算のベースにしている

入院患者は退屈だから食事を心待ちにしているそのせいか皆食べるのが異様に早い私は普段ゆっくり食べているのでやたら急かされる気がする日本人は日本食を自慢するがこういう掻き込むような食べ方はどうなのかと考えたミラノでメンザ(鉄道職員の職員食堂)へ行った時のことを思い出した

そこでは男女ともほぼ全員が小瓶のワイン2〜3本飲みながら時間をかけ大声で喋りまくり笑いあいながらゆっくり食事を楽しんでいたワインなんか飲んで大丈夫かなど誰も考えてさえいないような陽気さだった

病院だからたとえばイタリア人のようにワイワイやりながらということはできないにしても普段から日本人と彼らとの食事の楽しみ方は全く異なると感じるたぶん哲学の違いなのだろう

万事人生を愉しむというのが彼らの哲学だとすればたとえ病院であろうともっと目で舌で手で楽しめない食事こそ病気を作る元凶だと考えているかも知れない旅先で病院の世話にはなりたくないものだが一度イタリアの病院で(ごく軽い病気程度にしてもらいたい)味も雰囲気も味わってみたい気もする

ペースメーカー

ベッドの上でもいろいろ考える
ベッドの上でもいろいろ考える

私には姉がいた私が生まれて半年後に亡くなったのでもちろん顔は知らないが姉は私の顔を見たはずだ2歳半だった当時の田舎だから写真もない母は娘の柔らかい髪の毛をひとつまみずっと取ってあった(おそらく今も)小学校低学年の頃何かの時に母が見せてくれたのを覚えていてそれから何度か自分でも見た

ペースメーカーは正確な電気信号が届かなくなった心臓にその人の身体活動に合わせた信号を正しく伝えるものそれが今自分の胸の中で私自身の一部として動き始めている

ペースメーカー自体が動くわけではないただの冷たい(冷たくはない)機械だけれど私の肉の一部を切り開いてその中に埋め込まれた瞬間から私と生死を共にする私の特別に大切な一部分となったこの先大事な大事な手耳などでさえ私から失われることがないとは言えないがこれだけは私が生きている限り失われることはない

目覚めて何となく肌着の上から撫でるとまだちょっと痛みを伴って膨らんでいるこれまでのいろんな人や事柄の全てが関わって文字どおり私の胸に飛び込んできた機械だ大事にしなくっちゃ

그것이 이유입니다、「ペースメーカー」という機械の名前でなく自分で名前をつけることにする仮に「葉子」と呼んでおこうそれが姉の名だ。2016/11/29

「安静」の意味

読みかけの本を読み終えた
読みかけの本を読み終えた

突然「絶対安静」ベッドから出てはいけないと言われいつ転倒しても不思議ではない状態と理由も告げられたのにその指示の意味が手術後までも解っていなかった

ベッドでモニターの数字だけを見ていた。30〜35から上へなかなか上がらない逆に時々27,28に下がるパッと夢が覚めたら65とか70とかになるという祈るような気持以外頭が働かない示される数字の現実感が薄い

手術の説明があり器具の説明があるそれぞれ理解はできるが心は上の空のまま手術室へ

術後2日ほど経ち(26日)ほぼ全ての予定のキャンセル移動などの連絡を終えやっと落ち着いてきた

なぜ手術が必要になるまで症状に気づかなかったのかこれからどうするのか

「安静」とは文字通り静かに休むだけだと思っていたもちろんその通りだが少なくとも「何もしない」だけの意味ではない「積極的に」何もしないのである「何もしない」ことが「無意味」とは正反対の意味だということが遅ればせながらやっと解ってきた

仕事や会合の連絡なども確かに大事だが死なないまでも安静を犯して入院を長期化させてしまえば連絡など何の意味もなくなってしまう少し大げさに言えば病気でさえここまでの私の人生の結果であるそして手術そのものも多くの人の心配や励ましや努力の結果だそれをきちんと活かすために自分が今できる最大のアクションが「安静」なのだ。 2016/11/30