「コロナ」の2ヶ月

「錦糸に輝く蘭」を治療中

コロナの影響を直接感じるようになってから2か月今の様子では25日にも非常事態宣言が解除されそうだという解放感なのか単に政府主導でマスコミが広げる「新しい生活様式」を受け入れ始めているということなのか「新しい日常」がすでに始まっていると感じるようになった

制作しながらNHKラジオアーカイブスで「小田 実(まこと)」を聴いていた聴きながら描きながらいろんなことを考えた

彼の肉声を聴いていると今まさに目の前に起きていることを前提に話しているように感じる内容が古くならないというより彼が提起した問題がほぼ未解決のまま今も目の前にあるからだろう

もう50年近くも前の話が今も古くないということは一歩も進んでいないということでもある下手をすると後退でさえあるたとえば「自由」について(自分のことを考えられる環境すなわち奴隷的でない環境があるなら)おそらくは一生のうち誰でも一度はそのことについて考える(考えた)はずだ。ใน、その考えと現在の自分がどうつながっているか「コロナの2ヶ月」はいろんな意味で無駄ではなかった(過去形?)と思う

「非常事態宣言」やめるんだってよ

自転車での散歩から帰った直後「政府が愛知福岡を含む39府県で非常事態宣言を解除する方向で諮問委員会にはかる見通し」という速報をネットで見た前回のブログで書いたことがだいぶ前倒しになったってわけだどうせ一旦解除したってまた宣言するか(恥ずかしいからもうやらないだろうけど)それに似たようなことをするに決まっているその前にもう「オレたち二度目はどうする?」って考えておかなくちゃ

今年の花々は人が見ないせいかいつもの年よりきれいな気がしたここ数年蕾まではいけてもついに咲くことができなかった我が家の芍薬も今年は2つも咲いてくれた権現堂桜堤も今年の方がいつもより綺麗だった気がする庭のクリスマスローズも大輪のクレマチスももしかしてこれが最後?と思うほどに見事だった

今朝は腰が痛くていつものように起きあがることができなかった昨夜寝るまでは何も異常はなかったのにこれも2年ぶり午後は何とか動けるようになってきたので自転車でぶらぶら一時間ほど散歩一斉休校になってから何度も同じ時刻に同じところで何か練習している二人の少女(たぶん中学生)を見かける顔が見えるほど近くまで行ったことはないが何となく心に残る風景だ

帰りぎわやはりいつもの場所からいつもの?少女の歌声が聞こえるどこの家からなのか路地からなのかは分からないが歌の練習というのではなく数人で遊びながら歌っている感じだな、ฉันคิด。偶然に何度か聞いただけだが、แต่ถึงอย่างไร、その子らがすくすく育って欲しいと願わずにはいられない美しく幼い歌声だ…だからこそ……貪欲でしかも馬鹿な政治家にはサッサと引っ込め!とみんなで言ってくれないかなあ

バカは死んでも治らない

コロナに蹂躙された4月の1ヶ月私の生活は一変した社会人になって初めて「収入ゼロ」を体験した最初は何にも感じなかった「教室休みになっちゃった今までできなかったことをこの機会にできるようにしよう」的な「チャンス」的な気分も無くはなかったこの機会に表現の世界を少しだけ広げられるかもと楽観的に思っていた

今は全然違う世界は明らかに変わった何年も前から友人と「ごく近い将来日本はドラスティックに変わらざるを得なくなるその時に(個人として)何ができるかそれが大事だよね」などとお酒を飲みながらの定番の話題だったそれが「今」来たのだと思う多くの人の予想通りに

コロナは単なるきっかけだ(社会現象としては)近いうちに起こるべきだったことがいま起こっているそれが「戦争」でなく「コロナ」だったぶんまだラッキーだと思うこれがもし戦争だったらこんなもので済むはずはないフランスのマクロン大統領ドイツのメルケル首相共に「コロナに対する戦争状態」を口にしたのも決して的外れではないコロナ戦争後に勝ち負けが現れるという危機感の表れと取るべきだ日本のような竹槍アタマでは勝てそうにないな

5月もほぼ無収入に近くなったいつまで続くか判らないがおそらくそれほど長くはない終息など到底できないが国民の持久力が続かないはずだし変化だけが商売ネタのマスコミが騒ぎ始めるはずだし経済界がコロナなどより会社が大事だと本音を吐き始めるはずだし政府の財布の底が見えてくるはずだし何より日本人特有の健忘症が蠢き始めるはずだからそのあとに来る二度目のコロナの時はもう打つ手は何もないよ政府が「二枚のマスク」の代わりに配るのは安楽死用の注射だけかな