晨春会展’17

写真は出品作品ではありません

Maonyesho ya Shunkai alianza jana (11).。Wakati wa 31 mwaka huu。Ikiwa unafurahi juu ya maonyesho ya maadhimisho ya miaka 30 mwaka huu、Idiot kubwa ambaye alihesabu na kusema kuwa mwaka jana ni kama hiyo。

Ilikuwa moto ingawa。Hata ikiwa kuna baridi ndani、Watu katika ukumbi huo walikuwa wakitapika pia。Katika joto hili, unahitaji kuwa tayari kwenda kuiona。hata hivyo、Wale waliokuja wanastahili kuona、Alifurahishwa kabisa。16Mpaka siku。

 

災害のたびに思想を深める

今日も熊谷あたりでは気温が36度とか九州でとりあえず雨が上がったのはいいが災害に遭った人はもちろん自衛隊県市町の職員ボランティアの人たちも目の前の片付けだけでも膨大な作業量だと思う災害は一時のことだけでなくそのあとの精神的な負担子どもの教育まで含んでずっと長く尾を引く

防災対策法律を含めた復興支援教育・研究とハード・ソフト両面の息の長い取り組みが必要だ。na、そこには「人は物ではない」という無言の大前提が不可欠だ「命を救う」という一語にも「死ななければよい」から「人(間)とは何か」まで二段構え三段構えの深い思想構造が積み重ねられていく必要がある

 

九州北部の災害に思う

九州北部の大雨被害が凄まじい「線状降水帯」という耳慣れない語もすっかり定着してしまった何人も亡くなっているのは気の毒だがそれでもこの特異な気象状況にしては人的な被害が最小限で済んでいるのではないか防災意識の浸透の成果だと思う

けれど一方で高齢化が進み高齢者ほど生活からも情報からも取り残され始めている現実が報告されているまた今回の特殊な気象現象も温暖化など人類自らの行為の影響がないとは言いきれないとなると自然災害のように見えながら或いは人災の犠牲という側面もあるかも知れない

開発と災害は欲望と知恵の果てしない闘いだとも言える「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが三人どころか70億を越えた人類から知恵が出ないということはあるまい