尻に火がついている 花を描きましょう 2 尻に火がついている。写真原稿の締め切り間際。作品はまだ「ど、どうしよう…」段階。 サラッとこんなスケッチ風に描いて、ハイ出来ました!ならどんなにいいだろうと思う。素直にこう描けばいいのに、なぜ、それが作品になると出来ないんだろう。頭のどこかで、スケッチと作品の間にきっと壁を作ってしまっているのに違いない。
花を描きましょう 花を描きましょう 「花を描いている人」をスケッチ。30分くらいだろうか。一つのリズムの中で一気に描いてしまったことが、この軽い気分を伝える力になっていると思う。 油彩でもこんな風に描けるはず、なのにできない。それは画材のせいではなく、描く側の「構え」に問題があるような気がする。絵なんてこのくらいで描くのが一番楽しいのだが。重たい絵は描いていても苦しい。
歳をとっても柔らかい感性を持ちたい 公園にて 桜の「開花即満開」は、北の方では珍しくないという。人間にあてはめられたら、素敵なことだ。 「苦節○○年」などしなくて済むならその方が良い。lakini、現実はなかなかそうはいかない。若くして「満開」になった人の、その後の人生にも興味がある。 ドラマ無き人生など本当はない。そのそれぞれを、どんな形でか表現する一方で、他人のそれもを受け取れる。そんな柔らかい感性を保ちたい。