サボテン

窓辺のサボテン

わが窓辺にずっと腕立てをしつづけている暑いときも風の時も昼も夜もずっとこの格好元の方はもう枯れかけて12年になるなのにその先はそれ以上枯れることなく斜め上方に伸び続けやがて重力に耐えられなくなって床に両手を?突いてしまった大抵はそこから徐々に腐ってくるものだが端がほんのちょっと枯れ色になっただけで一年以上この状態のままである

何という種類かは分からないが珍しいものでないことは確かだ小さな鉢に5種類ほどのサボテンが寄せ植えになっているのを45年前に45百円で買った青々とした奴はちっとも大きくならないが何故か下半分が枯れかけたようなものだけが成長する代謝の大きさの差なのだろうか同じ鉢の中で写真のサボテンだけが買った年の冬に殆ど枯れかけたこれまでの私の経験ではだいたいそのまま腐っていくのがほとんどだったが翌年の夏には回復ししかもわずかながら成長した冬には再び駄目そうになりながら次の夏には何と2本に増えた(写真には3本目が見える)この小さな鉢の中でこれだけダイナミックな動きを見せるのはこいつだけ

サボテンは案外好きだせっせと水をやらなくても済むというお手軽さだけではなくどうやら棘が好きなのだと比較的最近思うようになった

Kao dijete、青森県下北半島ではサボテンは非常に珍しかった私の中ではサボテンは南国のイメージ暑い岩石砂漠の象徴であったそのサボテンが小学校の校長先生の官舎(田舎ではそう呼んでいた)の小さな玄関わきに植えて(鉢だったのかもしれない)あったのを道草の途中で見つけてしまった

うちわサボテンだったのは間違いないうちわサボテンの表面には放射状に1センチもある大きく長い針が数本ずつ固まってついているその棘の塊と塊の間はつるっとした滑らかな面に見える子どもはなぜかつるっとしたものに触りたがる大きな棘の塊に注意しながらそのつるりと「見える」表面を私は何気なく撫でてしまった

危険ということのもうひとつ深い意味をその時はじめて私は知ったつるりと見える部分には注意して見なければ分からないほど微細で抜けやすい棘が塊ではなく一面にかなりの頻度で突き立っている長い針の目立つ危険の陰に本当の危険が潜んでいることを子どもなりに意識させられた瞬間だひりひりした繊細な痛さに泣きながら家に帰った記憶は今も強く残っている

そんなわけでサボテンが天敵のような存在になったのは当然だった天敵だからうっかり触ったりしないよう特に注意するようになったのかも知れないいつの間にか花が(滅多に)咲かないということも人の肥育をほとんど要しないことも厳しい環境に育つことも人の手を刺すことも(サボテンが意図的に刺しているわけではないが)好ましいと思うようになったのは不思議な気がする私のへそ曲がりな気性に合っていたのかも知れないサボテンがへそ曲がりだとは全然思わないけれど

晨春会展を終えて

歩く男 F6 水彩  2010

前回のブログから10日会期中に一度書いてはみたがまとめきれず公開は出来なかった7月31日晨春会展が無事?終了大震災があったからなのか今年はいつもと違う感じが会期中もずっと続いていた特に目につく変化は無くてもたぶん何かが変わったに違いない

一つは心の変化震災は心災でもあった自分は何をやっているのだという情けなさと口惜しさの混じったような気持がずっと続いている。ali、それは震災に関わらずもっと以前からだったような気もする他には自分のやるべきことに選択肢など無いということ迷っている時間など無いということはよくわかったよくわかったが、u、今何をと考えると何も無いという絶望的な気分になるそれが会期中ずっと続いていたことの中身だったのだろうか?そうだとしたら展覧会は自分には何も無いということを確認するだけのために在るようなものではないか

7月の1ヶ月間毎日お酒を飲んでいたこんなに毎日飲むのは最近では珍しい。Pivo 、vino、Japanski、焼酎とさまざまなアルコールをあるときは大量にあるときはほんの少しある時は楽しくあるときはまるでそれが仇でもあるかのようにそのせいか1週間ばかりの間夜になるとふくらはぎから下がパンパンに浮腫んでしまった指の周りも豚足のように丸々している指先に力を入れると浮腫みが白く浮かび上がり血の色が全く無くなった脚を上げたり動いたりするようにしたら浮腫まなくはなったが夜の酒は止めなかった飲みたいというより飲まなくてはというような気持だった

8月になったら急に飲もうという気が薄くなった展覧会が終わったことと関係があるのかどうか分からない単に飲み過ぎて飽きてしまっただけなのかもしれないが晨春会展を終えた時昨年なら「次作はこうしよう」と思い描いていた今年は何も考えていない。samo、目の前にある小さな描きかけを早く目の前から消してしまいたいと思っているだけ

 

 

Sさんが亡くなった

少年と犬 F50 テンペラ 1998

S preminuo jučer。Bilo je to nakon duge bitke s bolešću。U vrijeme kad je S dobro radio, glavna tema bila je "Psi".。Pokušavam pisati o ovom blogu što je više moguće s novim djelima.、Zbog toga sam odlučio objaviti posao prije više od deset godina (to je moje).。To je malo, ali želio bih izraziti sućut。

Prvi put sam upoznao gospodina S u sveučilišnom javnom predavanju i akvarelu.。Imam vezu između instruktora i učenika。Bio sam instruktor、Mislim da sam naučio puno više nego što sam učinio.。Ne samo da je ona starija i malo bolja životna iskustva、Čak štoviše, moja strast prema slikanju bila je daleko veća od mene.。Ta strast nije ograničena na sve u istoj klasi、To je poput suosjećanja sa svima koji vole crtanje、Određena vrsta、Osjetio sam nešto nevjerojatno。Mnogi su na nju tada utjecali.。I mene je nekako dirnula ta strast、Osjećalo se kao da je nekako uzdižući、Je li to savjet?、Je li to uznemirenost?、Sjećam se da je rekao nešto što nije znao je li to deklaracija。

Redoviti odabrani na prefekturnim izložbama。Jer su osmišljavali tehnike koje nitko ne može učiniti、To je zato što su svi suci toga bili svjesni.。"Takvu vrstu slikanja nikada ne treba ispustiti."、Ne znam da sam student、Postoje suci koji su razgovarali sa mnom。Bio sam nominirani za nagradu gotovo svake godine.、Razbolim se prije nego što se dodijelim、Ne mogu ga više nabrojati (zato se i ja osjećam pomalo prestrašeno zbog toga)。)。

Pokazujući joj naporan rad (iako je sada postao uspomena)、Imam fragment neuspjelog posla。Samo pogledajte fragment、To je ona (to je vjerojatno napor)、Ne želim to reći) Mogu osjetiti malo strasti。vjerojatno、To je sigurno neviđena tehnika u povijesti "svijeta" akvarela.。Ako sam ja、Kad dođe dan kada možete govoriti u svijetu umjetnosti、Mislim da je to epizoda o kojoj bi se definitivno trebalo razgovarati。

Za nju postoji samo jedna mala medalja。Uslijedila je izložba prefekturne literature Saitama (više nije)。Najviša nagrada je ministar rada i nagrada guvernera prefekture Saitama.、Primio sam to。Kad su ga intervjuirali NHK i drugi mediji prije ceremonije nagrada、Rekla je da se želi fotografirati sa mnom kao memorijal.。Nemam veze sa svojim vodstvom、Vjerujem da je nagrada bila plod njezinih vlastitih napora.、Odbio sam ga zajedno dobiti na fotografiji kako bih je izbjegao mrlje。I、Takve su nagrade samo "prvi korak".、Sjajna stvar dolazi uskoro、Ovo je bila unutarnja arogancija vođe.。To je najviše žaljenja otkako se razboljela。To je bolna epizoda u kojoj nisam imao skromno srce。Iskreno se molim za tvoju dušu。2011/7/21