posjedovati vrijeme

     「棚の静物」 水彩

世界は目まぐるしく動いているあるものは更に進歩し、Međutim、あるものは退化もしくは逆行する世界はそうやっていろんな方向へ動いている。eto zašto、同じところにとどまっているつもりでも相対的にその動きの中にいることになる

ali、O tome se radi u trenutnoj zemlji。Vrijeme i prostor、U određenom smislu to je izum čovječanstva.。Ova se zemlja na kraju fizički sruši i postaje prašina svemira、Ako se negdje rodi novi život、Odatle postoji mogućnost da će se ponovno stvoriti "novo" vrijeme i prostor.。Prema astronomima、Vjerojatnost evolucije kao današnje čovječanstvo、Očito je gotovo nula。

Drugim riječima、mi、Ne、Nije pretjerivanje reći da je sav život na Zemlji sada u "čudu"。Međutim、Gledajući unutar tog čuda、Puno je kontradikcija。Jasno je da nema ništa savršeno。Ali čak i tako、Nadalje, dio je samo "čovječanstvo"、Tražite jedan točan odgovor、Ubijaju jedni druge tvrdeći vlastiti legitimitet.。Ne pokušavam shvatiti da je to sama kontradikcija。

Samo čovječanstvo može "posjedovati" vrijeme。"Moje vrijeme"。Kakvo je to čudo?、Nije loša ideja ponovno razmišljati o tome prije nego što umreš、Mislim da。Čak i ako je pomalo bolno。"Mrtvi život na polici"。Nisam ništa nacrtao osim、Moje vrijeme je tamo ostavljeno。

sashimi od rakova

            「ガザミ(ワタリガニ)」 水彩

秋らしい、Međutim、ちょっと変わったものを描いてみたいと言ったら妻が渡り蟹を買ってきたよく味噌汁とか鍋の出汁に使われる安物の蟹である身があまりない種類なのでそれくらいしか使い道がないのだろう

スケッチの材料としては「味噌汁の出汁」よりずっと価値があるが主婦たちはスーパーで見慣れているせいかほとんど価値観を感じないらしい高価でちょっと手が出ない松葉ガニとか毛ガニなら描いたものでも高級感があるのかもしれない

なんでもそうなのだが見慣れているからと言ってスイスイ描けるものではない毎日自分の顔を鏡で見ていても描けと言われてサッと自画像を描けるものではなかろう見るのと描くのでは大違い色もかたちもなかなかにシャープで描きごたえのある素材なのだ

味も馬鹿にしていたがあるとき弟が津軽海峡のワタリガニの刺身を食べたと言ったことがあるものすごくオイシイのだそうだ彼は下北半島に住んでいて海産物に関しては鮮度といい種類といい飛び切り上質のものに囲まれている彼もそれまではワタリガニなど小ばかにしていたようだったが食べてみて驚いたというそもそも刺身にできる量の身があるのかと訊いたらやはり二回りほど大きいという。Ako da、あり得るかも。od、わたしの耳から離れない

suze i jesen

     「葡萄の水滴」  水彩

急に秋の気配になった「暑さ寒さも彼岸までといってもこの暑さはとうぶん続くだろう」と思っているうちにぴったり彼岸までということになった

スーパーにも秋の味覚が並ぶようになったこの葡萄は実は巨峰という種類の葡萄だが農家さんが作ったものではないのであのような黒さにならないようだあの黒さを創り出すのはさすがに農家の力というものだろう。Međutim、聞くところによると今年は日射熱が高過ぎて色落ちというかこの絵のような葡萄が多くなったそうだちなみに味は黒いものと変わらないらしい

水彩教室で「秋らしい静物」を描いてみようなんて言ってるうちにいつの間にか「水滴特集」になってしまった「水滴」の表現は、14世紀ごろの画家たちにとって腕の見せ場でもあったらしいフランドル(現在のオランダ)の画家ファン・デル・ウェイデンが十字架から降ろされたイエスを抱くマリアの涙を描いたのがヨーロッパ中の画家の注目を集めたのだという

その「透明」の表現が画家たちを魅了し続けてきた同時代のファン・アイクの恐ろしいほどの「宝石」を投下する透明な光当時やっと普及し始めた透明のガラス窓を絵の中に積極的に取り込んだ17世紀フェルメールまで今でも「透明感」のある絵は人気がある絵画の黄金時代スタートは涙という「水滴」だった