芸は身を助く : 馬が描く絵

「Doll」 watercolor

「馬が絵を描きそれで自分の身ばかりか他の馬も助けている」という記事を読んだ数年前にアメリカで話題になったニュースらしいがそれをイギリスの記者があらためて書いたものだった

馬の名前は「メトロ」もとは競走馬でその地方では8勝もしたかなり知れた馬だったらしいが膝に故障を抱え運命が尽きかかっていたそこへたまたま奥さんの乗馬用にと安い馬を探していた画家と巡りあった

メトロの口であれこれ咥える癖を見てこいつに筆を持たせたら面白いかもという発想が画家的だメトロもなぜか「草を食うより絵を描く方が好き」らしくやがてたまってきた絵を画家が地元のセールに出したするとあっという間に4点も売れた。Kwa njia、ショーで像が花の絵を描いてみせるようなものとはレベルが違うなにせアシスタントはプロの画家である

地元バーモントで話題になりそれを大新聞が取り上げたことで一気に全米の話題になった注文が相次ぎその収入で新しい治療法を試すこともでき膝の故障も克服。Kwa kuongeza、同じような運命を辿る他の馬も助けられるようになったという馬版アメリカンドリーム今も沢山の人が彼・メトロ氏の作品の待機リストに並んでいるそうな

Kwa njia、当の画家はメトロ氏のアシスタントとセールに忙しく画家は休業中だとのこと(記事は2014時点でのこと)

昆虫・油彩・大理石

    「蝶など」 油彩・大理石

昨日(3/25)久しぶりに上野へ桜は満開花の下では中国からの旅行者たちがかわるがわる枝を自分の顔のそばに引っ張り込んで写真を撮っていた暑いくらいの陽気で大勢の人で賑わっていた

ブリューゲル展(東京都美術館)に入った久しぶりのクラシック展だったがまあこんなもんか、Ndivyo inavyohisi。lakini、出口近くの2点には少し驚いた写真はそのうちの1点2点とも6号ほどの小品だが油彩で昆虫を驚くほど細い筆で描いてある作者はヤン・ファン・ケッセル、1659年作磨かれた大理石の上に描かれている

Hiyo ni kweli、油彩は石の上にも描けるんだったなあと改めて思い出した。lakini、このような場合油彩につきものの「油のヤケ」が全然見られないついさっき描かれたかようにフレッシュしかもひたすら「昆虫」図鑑のような描き方がいっそう現代的であるように感じられた

道すがら西洋美術館に立ち寄り「プラド美術館展」も見るヴェラスケスのデッサン力・構想力が他を圧倒しているの企画どおり。Lakini、私的にはそれらの展覧会をずっと立って見ていられたことの方が嬉しかった

不または非・「晴明」

「Doll」 watercolor

なんだかイラついている何かハッキリした不満というよりあらゆることに清々しい明朗さがない、Ndivyo inavyohisi。今頃の天候などをさす俳句の季語に「晴明」というのがある晴れやかさと爽やかさが混じったような気分・天候のことだがどうもそれとは逆とまでは言わないが「不または非・晴明」という気分なのである

「感謝」という言葉が急激に嫌な言葉になってきた冬季オリンピックパラリンピックが先頃行われた昨日から春の選抜高校野球も始まったここでも「感謝」「感謝」の嵐この言葉を口にしないとすかさずどこからかクレームがつく曰く「あなたの今日あるのはあなた自身だけの力ではない周囲の力添えがあってのことその感謝の気持を持たない人は大人ではない」

ndiyo maana、実際に大人ではない小学生はては幼稚園児まで「皆さんのお陰でーちゅ」と「練習」させられるそのようなクレームからの過剰回避である

ごく普通のことをしたのに「思いがけなく」ありがとうと言われるときの「晴明さ」とそれは似て非なるものだ「感謝」の言葉は求めるものではなく自発的なものであるはずだそれが単なる「形式」になり形式でよいとするそのような神経のあり様がどうやらイライラの中身のような気がしてきた