銀座

 

銀座のショーウィンドウから

ここ3週間ばかり頻繁に銀座へ行く個展グループ展往復の移動時間がバカにならないので一度に3つか4つ位は廻らないと仕事でもないのに毎日銀座通いになってしまう

銀座での展覧会は多少義理絡みでないこともないが無駄ではないそれなりに作品を見たいと思わせてくれる作家にしか義理を感じないという鈍感さも持ち合わせているせいか何がしかこちらに刺激というお土産を持たせてくれる東京といえどなかなかそうしたレベルは保てないが銀座ではそれが「普通」その意味では銀座は効率がいいと言える

銀座といえば「虚飾」のイメージがずっと以前は私にもあった。Lakini、新宿などにくらべれば銀座はずっと「素顔」で「素直」な街だと最近は思う少なくとも個展をやっている画家たちの殆どは想像されるより皆ずっとずっと「素顔」で「素直」だ。Badala、そうでなければ長くは続かない

Lakini、画家とかいう連中はみな少しネジが緩むかずれていてしかもそれを自覚できない人が殆どなのでそういったことが解るまではどこか別次元の世界のように感じる人もいるかも知れない確かに街全体が少しばかりネジがずれた街かも知れない、lakini、そのズレこそ新しい世界への隙間なのに違いない

mtindo

制作中

Katika ulimwengu wa uchoraji, ni ngumu kuanzisha "Huu ni mtindo wangu."、Mara tu umeanzisha mtindo wako = mtindo, unaweza kusema, "Huyu ndiye mimi!"、Ulimwengu utakubali、Itatambuliwa、Inaonekana kama。Waandishi wote wanajaribu kupata mtindo wao wenyewe.、Kuiga、Tengeneza na uiharibu、Unda mtindo wako mwenyewe、Ulimwengu unasifu juhudi hiyo、Hadithi ni、Inaonekana kuwa。

Ni kweli kwamba ni mara moja na haina kuanzisha mtindo。Kila jaribio la msanii、Imejaa kila aina ya hisia na maoni ya muda mrefu ya uchoraji.。ndiyo maana、Kuanzisha mtindo inamaanisha hatimaye kuleta ncha ya barafu juu ya uso、ということであってやはり賞賛に値するものだ

Lakini kwa upande mwingine、画家のスタイルは(比較していいのか迷うが)会社のロゴみたいなものだと考える人も少なくないロゴとはようするにブランドでありシンボルである。Kilicho muhimu ni mtu aliyeiunda na yaliyomo kwenye bidhaa.、Alama yenyewe haina maana yoyote。

Logos na chapa zinaheshimiwa、Hii ni kwa sababu tuna rekodi ya kuhakikisha ubora wa biashara yetu.。Neno "hutengeneza chapa"、その実績=品質保証を疑わせる製品を世に出すという意味だ。Kwa maneno mengine、ブランドと中身は常に一致していなければならないということ。ni、同じレベルのものを作り続けるというだけでなく一方で常に進化・深化し続けることでもある社会環境の方が変化するからである

ndiyo maana、「これが私のスタイルです」と画家がいう時(そんなことを言うはずもないが)それは外側から見た「画風」の意味だけであるはずはない「私のスタイル」とは常に変化しかつ動じず、Hiyo ndio inamaanisha。そしてそれはたぶん一般の人が「スタイル」という言葉に持つイメージとは随分違った中身になるに違いない