
一昨日の「分かったような気になる」の続き、kana。「過信」というより「思いこみ」に近いかもしれないが、まあそんなところ。
身体が傾く。脚で踏ん張る。Le moment où je pensais que ça s'arrêterait, pour une raison quelconque, je ne pouvais pas le soutenir et que j'ai été jeté。Mettez votre main en un éclair。Je pensais que ça s'arrêterait maintenant、Je me baisse le visage contre le sol。C'était il y a longtemps、Ce qui s'est passé lorsque vous esquivez une voiture sur un vélo。en bref、Il s'agit de faiblesse musculaire、自分の頭の中では(だいぶ昔の)体力に自信があり、それが過信になっていることに気づかない、というどこにでもあるようなエピソード。
mais、残念な話ばかりではない。今だって、これまで出来なかったことが出来るようになることもある。何十年も描いてきた絵の中でもそう。気がつかずに過ごしてきたことに、今になって気づき、練習してできるようになる、という経験を最近でもする。パソコンも日々アップグレードされ、それについていくこと自体に不信感を持ち始めたのに、やってみたら自信回復ということもないわけではない。
これは「気持の問題」ではない。気持だけでは「過信」になりやすい。実際に出来て「自信」にすること以外にない。若い人が100やれば、自分にできることは10以下かも知れないが、それはやむを得ない。過信禁物である。大けがをする。