Séance de croquis de mouette bleue

Cours de peinture/séance de croquis de mouette bleue (aujourd'hui)

Il y a eu une séance de croquis pour le cours de peinture de mouette bleue.。L'emplacement est à Miyashiro-cho, préfecture de Saitama.、Campus du Nippon Institute of Technology。Cela a été rendu possible parce que le président du comité exécutif nous a donné la permission d'entrer sur le campus.。Il fait beau aussi、Le vent est aussi une brise、Tout d’abord, c’était une journée parfaite pour dessiner (je pense que le soleil était un peu chaud)。

Les carnets de croquis varient en taille.。Appelle tes vieux amis、Certaines personnes ont plus envie de parler、On dirait que tu as passé un bon moment、C'était le meilleur。J'ai pu te rencontrer aussi.。Quels sont les résultats ? tout le monde、J'en ai dessiné au moins un par obligation (mdr)。

Ce cours de peinture aussi、Pour commencer, cette université、Campus ouvert ouvert aux résidents à proximité、Il trouve ses racines dans les « conférences publiques »。Près de 10 ans se sont écoulés depuis la fin du cours.、Je manque (étrangement) à tout le monde、C'est le plan pour cette fois。Pour chacun、se faire des amis、Il peut s'agir d'un « lieu sacré » où vous pouvez élargir votre cercle d'amis partageant les mêmes intérêts.。Je suis reconnaissant d’avoir un lieu aussi commun.、J'y pense vraiment。

A cette époque, j'ai réalisé de nombreux croquis basés sur ce campus.、La situation à l’intérieur du campus a également considérablement changé.。La bibliothèque et la cafétéria étudiante ont été déplacées vers de nouveaux emplacements.、Un grand carré peut être créé au milieu.、globalement lumineux、Ça devient plus ouvert。Il y a encore peu d'arbres、Quand je serai grand, j’aurai l’impression d’être dans un petit parc.。Beaucoup d'étudiants là-bas、Je marche lentement pour me rendre à la salle de classe où aura lieu le cours.。
Relaxant、je suis relaxé、Je voulais qu'ils chérissent ce moment précieux.。Nous avons aussi un petit « club des seniors ».、Je pense que les rides ont poussé。Même en ce moment、 « Même les personnes âgées qui ont du mal à marcher » sont touchées par des boulets de canon incessants、Qu’il existe un monde où nous devons évacuer sous les bombardements.、nous savons。Vous pouvez passer du temps à dessiner, etc.、Je souhaite laisser aux jeunes un moment paisible et agréable.。

ざくろと折り紙のスケッチ

「ざくろと折り紙」2023 水彩(コットン紙)

ふたたびざくろを頂いたので教室の参考作品にしようと数点描いてみた背景の「半袖シャツ型の折り紙」も俳句会の際にAさんから頂いたもの以前に尾形光琳の杜若(かきつばた)のプリントを洒落た蓋つきのキャンディボックスに折ってくださったのもこのブログに載せたので二回目の折り紙登場ということになります(2022/11/19「西洋梨と杜若(かきつばた)」)

鉛筆スケッチから完成まで1時間半ほどこのステップを細かく作業分けすることができれば誰でもこのくらいは描けるようにすることができる(はず)そのステップ分けの分析と作業手順の明確化一般化がわたしの仕事だ

水彩スケッチができるようになればいいなあと思っている人はこの程度描ければ十分だと思う(失礼な言い方でごめんなさい)スケッチに必要なほぼすべてのテクニックが使われているので技術的には必要十分という意味です。juste、絵というのはきれいに描ければよいという次元にとどまらないもっと深いものがあります
 それはスケッチ程度じゃ解らないという意味ではありません描くこと見ることを通じてそこから何を感じとるかが大切だと思いますどんな絵でもよくよく見れば画面の表面を透かしてその人の感覚や考え方身体状態すこし時間をおけば時代の雰囲気さえうっすらと浮かんでくるものですそういう眼を「自分自身で育てていく」そしてそこからもう一つ深い世界への扉を開くということですたぶんそこが「芸術」への「連絡通路」ですそこに入っていかなくても自分の目で見えるだけで素晴らしいと思います

 おそらく誰でもスケッチを続けていると(ストイックに必死にならなくても大丈夫だよ)ある日不意に「スケッチとはこういうものなのかも」という覚醒の瞬間が訪れます何度もそうやって少しずつ深いものに到達するのです見た目には別段上手になっているようには見えなくても解る人には解るようになっていくそうなって欲しいですね

13日の金曜日

「うみのそら」(習作) 2001

今日は13日の金曜日キリスト教国では不吉な日らしいがユダヤ教のイスラエルではたぶん関係ないのだろうイスラエルとハマスの戦い(装備等の差から考えれば “戦い” にならないだろう)に心が痛い自分のかなりひどい腰痛も鎮痛剤のおかげでだんだん歩けるようになってきた気持ちに少しだけ余裕が出来てこの争いに目を向けている

日本で一般的に見る報道ではほぼ「ハマスが一方的に攻撃をしかけ」「イスラエルの民間人に多数の犠牲」「イスラエルには報復する権利があるアメリカは武器も支援」などと報道されているガザからの視点報道もあるにはあるがマイナーな扱い方だ

「殴ったやつが悪い」のは確かだ。mais、なぜ殴ったのかその理由を問わないのは論理的ではない結果には必ず原因・理由がある
 ガザというイスラエルが一方的に(今回の報道では “一方的” のオンパレードだ)作ったいわゆる「天井のない監獄」を(日本も含む)世界が容認してきたことに本質的な問題があることは誰の目にも明らかそこに生まれた子どもは生まれた瞬間から終身刑を言い渡されたようなものイスラエルが勝手に作った壁の向こうへ一歩も出られないまま一生をそこで終わらざるを得ない
 あまりに理不尽とも見えるその状況を国際社会は見て見ぬふりをし続けてきた世界の「人権」管理者であるかのようにふるまうアメリカがそれを容認するのもダブルスタンダードと言わざるを得ない中国の人権侵害を非難するアメリカだがアメリカ自身の人権問題には眼をつぶったまま
 殴った理由の大部分はたぶんそこから生まれてくる実際にはガザの人々が攻撃したわけではなくその不満を吸収したハマスによるものだが鬱積した人々の憤りがハマスへの支持になっていることは報道の通りだと思う自分がガザに生まれていたらと想像すれば「報復の権利」の前に「殴る権利」もありそうな気がしてくる

戦争の原因は複合的だどれか一つの理由だけでは始まらない第一次世界大戦も「サラエボの一発」などと形容されるけれどそれは一本のマッチに過ぎないマッチを擦ればすぐ火が点くような状況がすでにそこにできていたからでその状況がなぜできたのかといくつもの「なぜ」を追いかけなくては「2発目、3発目」を防ぐことはできない
 「人の命は大切」と言いながらなぜ銃の引き金を引くのかあるいは引かざるを得ないのか本音とタテマエパワーゲームの前には人の命など何の意味もないことをまざまざと見せつけられている