紫陽花(あじさい)の季節が来た

「紫陽花」を描いてみる

「青いカモメ絵画教室」の各クラスに「アジサイ弾」を“お見舞い”している。kila mtu、それを喰らって悪戦苦闘の様子

「45月で2枚描こう」というキャンペーンのもと写真と現物モチーフという材料はすでに手もとに在るアジサイはオマケのモチーフ「紫陽花(アジサイ)」はもともと難しいモチーフだがその前のモチーフが簡単かというと決してそんなことはないどんな花でも(花に限らないが)簡単なものなどあるはずがないのである

先日「第9回青いカモメの会絵画展」というビデオをYouTubeにアップした出品者39人に対してアップから3日目の現在 214回の視聴ということは「青いカモメの会」出品者以外の人も見てくれているということだ
 発表するということは誇らしいことであると同時にストレスでもある「恥ずかしい」「こんなレベルでみっともない」などと思うからだが裏返せば「本当のわたしはもっと上」と隠された自信を持っているからでもあるその自信を崩されるかも知れないという不安がストレスなのだろうほとんどの画家たちは皆相当の自信家だがそれにふさわしい作品を毎回出品することはベテランといえども難しく何度も「恥ずかしい作品」を出品する羽目になるけれど何歳になろうとそれをバネにし伸びてくるのが画家と呼ばれる連中に共通する性質だわたし自身の経験でも他人の作品と比べることでようやく理解できたことは少なくないいくらアートが最終的には個人的なものだとはいえ最低限の客観的な視点を持たなければただの「独りよがり」の絵になってしまいかねない(そういう絵がダメだとも言い切れないが)そうした客観性のある視力を養成する最もストレートな方法のひとつがわたしの場合は「出品=恥をかく」ことだったと当時も今も思っている

今日は(も)紫陽花(アジサイ)にチャレンジしたこれまでにも100回くらいは描いているはずだが記憶に残る「まあまあ」は数回あるかないかほかは「恥ずかしい」絵ばかりだがそれを隠してしまうこともまた恥ずかしい気もしないわけではない

Ninahisi kama siwezi kusema chochote

5Niliipakia asubuhi ya 8 ya mwezi。

Unda video hii kwa kutumia nusu ya siku za likizo。Pia nilifanya moja zaidi、Isipokuwa kwenda kwenye Jumba la Sanaa la Kitaifa huko Roppongi kuona Maonyesho ya Kitaifa、Likizo zote zilitumiwa kuhariri video.。Kazi mpya ya tempera katika toleo la 6 la uzalishaji pia imesimamishwa katikati.。Bado, kupakia baada ya likizo。

Siku hizi, utengenezaji kamili wa video unaanza kufanywa kwa kutumia AI pekee.。Siitaji hata kamera kutengeneza video。Je! Unatumia smartphone yako kama kamera? Sio、Hakuna kamera kabisa。Hakuna haja ya kamera, kwa hivyo hakuna haja ya vifaa vingine vya utengenezaji wa filamu au yoyote ya mbinu hizi.。Hakuna haja ya programu ya uhariri wa video, hakuna ujuzi wa kuhariri au wakati unaohitajika。Unachohitaji ni kompyuta na programu ya AI。

Jambo lingine unahitaji ni wazo、Hata hiyo sio muhimu。Kwa mfano, wacha tuseme "tumia jioni kwenye pwani ya majira ya joto."。Andika hadithi mbaya katika "Kuandika"。
AI basi inawasilisha "maandishi" kulingana na hadithi kwa makumi ya sekunde hadi dakika.。Picha ambazo zinafaa (picha ni sawa)、Au kuna video pia。Nani atasoma maandishi?、Chagua mhusika。Unaweza pia kurekebisha ubora wa sauti yako na jinsi unavyoongea haraka。Pia watawasilisha maelezo mafupi、Unaweza pia kuchagua font kwa uhuru。Unaweza kuandika tena sehemu zozote ambazo hupendi ... nk.
Hivi ndivyo inachukua dakika chache hadi dakika kumi、Unaweza kukamilisha video bila hata kuwa na picha moja。Kwa kweli unaweza kutumia picha zako mwenyewe pia.、Hakuna mtu anayepaswa kusumbuliwa kuwa mhusika mkuu wa video.。Aidha,、Hati miliki ya video uliyoifanya ni yako (iwe ina maana yoyote au la)。Labda kila mtu tayari、Labda tayari umetazama video iliyoundwa na AI bila wewe kujua。

Wakati ambao nilitumia kwenye video hii、Je! Kipindi cha mafunzo hadi sasa kilipotea? Inafanya mimi kuhisi huruma kwamba nataka kusema。Lakini、Hiyo lazima ifanyike kwa blink ya jicho。Juhudi nk.、誰だってできればしたくないはずだから
 先日も書いたがアメリカの葬儀社だったか故人の写真や生前の声があれば故人と家族がビデオで『会話すること』がすでにビジネスになっている会話の内容は故人が亡くなった後つまり「現時点」のこと。Ikiwa kuna maandishi yoyote na vifaa vilivyoandikwa au kusemwa na marehemu、Kutoka hapo, hadithi ambayo ni mfano wa mtu huyo、Ni pia juu ya kufurahi jinsi anavyoongea。100Ameweza kuzungumza na mababu zake mwaka mmoja uliopita kuhusu mada za leo mnamo 2023.。Inatisha kufikiria sana juu yake。
 目先のことを考えてもテレビ局も潰れるところが出るだろうし映像技術者もおおかたは失業するだろう“AIが人類の未来を拓く”という人と“パンドラの箱は開けられてしまった”と考える人はまだ半々らしいが今のところわたしは後者である

スピードと“いいね”

一見アジサイに見えないがよく見るとたしかにアジサイの仲間だ

情報の発信力が大事だと企業や自治体だけでなく個人に対しても言われる時代どんどん新しい機材が開発されパソコンのことなどほぼ知らなくても世界中へ発信することが誰でもできるようになった(たとえばTwitterなど)

kwa upande mwingine、発信された情報を吟味する力いわゆる情報リテラシーの方は「自分を護るためにも必要だ」というだけでどうも具体性がないその方法もその養成法も「本人任せ」か「いろいろ勉強(経験)して」というばかり(だとわたしには思える)言う方もたぶんどうしたらいいかわからないのだろう

だから(?)発信量が異常に大きくなる発信するのは「認知されたい」からであるから、1回よりは10回、100回よりは1万回発信する方が有利なのは当然だ。1回の情報発信に丁寧に時間をかけるより不満足でも100回の方が良く相当不満足でも1万回というふうに流れていくのもある意味で自然そしてどこかで“いいね”を貰えたら(反応があったら)そこに集中する中身よりスピードが最優先だ
 “いいね”を出す側つまり受信側には「リテラシー」がないそういう状況でたまたま気まぐれに 反応するそうはいっても1万回だの100万回も“いいね”がつくのはやはりそれなりの説得力があるのではないかと多くの人が思うからそこで情報のサイクルができあがる
lakini、現代ではたとえ1億回再生されたビデオでさえ(そんなのももう珍しくない)それを覚えている人などほぼいないどころか数日後にはもう忘れられていくそれのどこに「説得力」なんてあるのだろう発信側の単なる思い込みとどこが違うというのだろう

10人に手紙を書くのは大変だ内容が混み入ってくれば1通の手紙にも何日もかかったりする親身なものであればあるほどストレスにもなるそういう状況は(上記の事情で)現代では歓迎されないからチャットGPTにでもなるべく丁寧かつ決して『儀礼以上ではない』手紙を「自動で発信」してもらうのが一番よい。Zaidi ya yote、そんな手紙を書いたって“いいね”は貰えないスピードがいのちいいねが貰えなければやる価値がないのである“いいね”そのものの価値を問わない限りは