そう考えると多くの人がスケッチをやらないのも、経済合理性という観点からは理解できる。その点ではスケッチと登山は少し似ている。世界の高峰への初登頂というならまだしも、毎年何十人、何百人と登る普通の山に、準備と交通費をかけ、しかも雨が降れば途中で引き返すなどの「無駄」にどんな意味があるのか。経済合理性では説明しようがない「浪費」だろう。山を歩く楽しみは、自分の足で山を歩かなければわからない。食べ物の味はリポーターがどんな言葉で伝えようと、結局は自分が食べてみなければ分からないのだ。スケッチの楽しみも、描いてみて、描けるようになるにしたがってだんだん深い味が解ってくる、Sve što mogu reći je。スケッチは定年退職など待ってからやるものではなく、いつでも、たった今から始めるのがいいのである。