
最近出かけることが少なくなったから、相対的に制作時間が増えてきた。これは歓迎すべきことである。画家には制作のリズムが欠かせない。それを忙しさの中にも維持しなければならないが、いつの間にかみずからそれを壊してしまっていたことが、あらためて見えてきた。制作時間が増えれば自然に自分のリズムを取り戻すことができる。
誰だったか忘れたが、人間とは過去の塊だ、という意味のことを言った人がいる。過去とはあらゆる可能性の廃棄処分場であり、今とは単に偶然とか運命としか呼びようのない「可能性の幻」だ。それでは考えたり、努力することは無駄なのか?― 実はそうなのである。動物は決して努力などしない。努力とは人間を動物から分け、自らが人間を含む他の動物から搾取する存在になるために考え出した政治的な嘘の美名でもある。ところが体のリズムはその嘘を簡単に突き破り、私たちもまた動物そのものである事実を否応なく突きつけてくる。
それは自分に嘘をつかず、過剰な欲望を持たず、真摯なる「無目的(無自覚という意味)」に生きるという、動物のごく普通の姿である。もっとも、これではあまりに素朴な人間・動物観だと言われるかも知れないが、どうも原点はその辺りにあることを忘れ過ぎているような気がしてならない。 2011/7/3
意識というとき、僕らは心で考えていると いう
僕たちの生き方は 意識によって 方向づけられている いう
ぼくらの 意識は ゾウリムシが、イオン濃度を 電気的刺激 を忌避するときの
それと どれだけ違うのか
カタツムリの眼の伸ばされた、その眼球を風のワタる感触とどれだけ違うのか。
peut-être、僕たちは 意識という まったく やれやれ 思い上がった
心の 構造に ほんとうに 手を焼いているのだと思う
僕の 意識や心とは たぶん ゾウリムシが この世界のイオン濃度を忌避するぐらいの
だいそれた
風合いしか もたない。
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