Peut être、私がいま動画(編集)で頭を悩ましていることも、「時代の波」に乗るためなんだろうか?私自身の絵画史では「絵画の時代」はすでに終わっている。何かの文章にそう書いた記憶もある。けれど今も自分は絵を描いている、絵画の時代はすでに閉じたのに?それは、「絵を描くことは私の宿命」だと感じているからだ。どんなに時代遅れになろうと、宿命ならば仕方ない、そう考えているからだ。ーそれなら、なぜいま動画なのか。
Dans mon cas、健康維持だけが目的ならウォーキングは続かない。réel、これまでそうだった。Bien alors、なぜ今ウォーキング?と言われれば「寒くなってきたから」が、たしかに本当の理由なのかもしれない。
中学生の頃は、雪の林の中を一人で歩くのが好きだった。早朝ならなおさら。ピリピリした冷たい皮膚感覚と、「一人でいること」が気持ちよかった。「冬の早朝ウォーキング」は、そうした、いわばちょっとだけ動物的な感覚を取り戻す機会になっているのかもしれない。En ce sens、夏にはもうウォーキングはしていないかもしれない。
Quand même、早朝ウォーキングの人の多いこと。これは私の「一人」感覚を阻害する。néanmoins、よく観察していると、多くの人は私同様、「一人だけで歩く」ほうを好むように見える。夕方は歩かない。自転車でウォーキングならぬウォッチングに時々行くが、公園の周囲など、まるで隊列を組んでいるかのように続々と人々が歩いている。とてもその中で歩く勇気は湧いてこない。人々の健康志向の強さが、ある意味すこし不気味だからかもしれない。健康志向が強いということは、逆に言えば常々将来の健康に不安を感じていることの裏返しなのだろうか。健康を崩すということが、どんな悲劇をもたらすか、日々ニュースなどで肌身に感じるからなのかもしれない。その点には私は鈍感らしい。