U tom smislu、ほぼ100%に近い人が、一度は桜を描いた(描かされた)記憶がありそうだ。そしてその90%以上の人が、(ピンクをただ塗りたくる以外に)どう描いたらいいか、悩んだ経験を持っているに違いない。わたしも小学生の頃に感じたそのコンプレックスがずっと尾を引いて、今も解消できずにいる。To je to、風景としてはあまりにも普通過ぎて新たな視点を見出しにくい。桜への熱愛に比して、公募展などでは桜の絵がむしろ少なめなのは、きっとそういう理由だろうと思う。
取り立てて「ここが良い!」と強調するようなところがないのがいいのかもしれない。「穏やかな日常」の表現に適当な場所、Valjda to znači。世界は至るところ戦火がひろがっているし、日本の中も災害やSNSなどを使った詐欺事件などで気持ちが落ち着かない。「絵になる場所」、と思った時から10年は経ったかもしれない今になってこういう風景を描くのも、あながち年のせいとばかりも言えない気がする。