自分で調べなさい

シェルターの花  F6   テンペラ  2011

スマートフォンが使いこなせないまだ一ヵ月くらいだから仕方ないと思っていたが息子に言わせると「概念が理解できていないから」。Zaidi、あまりにも基礎知識が無さ過ぎるのだとも操作を覚えようとする姿勢がそもそもいけないという概念が理解できてないうえに操作を覚えてもいけないならどうしたらいいのかと聞いたら「手に持った瞬間に使い方が分かる」ようになるまでいろいろ試す以外に無いのだという若い人は操作を覚えるのではなく概念が理解できているから機種が変わろうと操作手順が変わろうとすぐ感覚的に対応できるのだというのである

スマートフォンを普通のツールだと思っていることが基本的に間違いだというのは理解できる使う人によって機能がどんどん変わっていくからだだから自分であれこれやってみれば次第に自分の要求に合うようになってくる(する)筈だというわけだそれを概念の理解と言うのかどうかはともかく確かにそれなりに使えるようにはなるだろうそもそもパソコンが理解できない(使えないのとは違うらしい)と駄目だからパソコンの本(超基本概念の)から読んでみたらと見放された人に聞かず自分で調べろって

ちくしょうめお前にパソコンやiphonを買ってやったのは俺だぞ教えたっていいじゃないか悔しいから何とかしたいものだがそれにばかり時間をかけているわけにもいかないでも確かに目の前の操作ばかりに汲々としていてはいずれこれらに対応できなくなる時が来る流行りのおもちゃで遊んでみようという好奇心を持てるかどうかが対応能力への分かれ目だ

暑い日が続きます

枇杷(部分) 水彩 F6 2011

暑い日が続いている今日も暑いとラジオが言っているなでしこジャパンはどうなったか午前5時14分の時点では3対1でリードしていたが勝敗はまだこの時間では分からない・・オールJapanだの日本チャチャチャなど一体性を強調されるのは嫌い(怖い)だがなでしこJapanなどつい気にかけたりするのは何故だろうと自分でも疑問

たった今なでしこJapan、3-1で勝利とラジオでなぜかホッとする

昨日埼玉県立近代美術館で埼玉二紀展を見た絵画では多くは100号以上の大作を数点ずつ並べているこの暑い中頑張っていると思う反面若い人たちの絵は個性的アイデアを競い体力気力を膨大に消費しながら描いているのにできた絵はほとんどどこかで見た絵の下手なコピーに見えてしまうのが気の毒だやがてこの中からひょっこりスターが現れてくるかも知れないとは思いつつ(口が悪く申し訳ありません)

銀座でグループ展を開いている若い人もポツポツ来るほとんどが絵を描いている人たち現役画学生(既に死語だが)や新人社会人で絵との両立で悩んでいる人たちが初対面の私に率直にそんなことを問うてくるのに少し驚く彼らから見て自分はそんな年なんだとあらためて思うと同時に今の人たちは素直だなあと羨ましくも感じた分かったようなことを書いたがやってること苦しむことは彼らと何も変わらない暑い日が続くがだらだらとでも涼しくなるまで制作を続けていく

 

猫になりたい

ヌード(部分) 水彩 2011

苦しみながら絵を描くと言うとなんだか努力家のようだ友人によると最近の脳科学ではそれでは良い作品は生み出しにくいと教えているようだ努力は悪であるとまではいかないが努力よりも「気持ちいいことをする」方がはるかに本質的であるらしい

実感である私は相当の長期に亘って作品制作に苦しみ続けてきたそれが悪循環になることも経験し続けている気楽に描けばいいことは本能的に感じるが何かがそれを止めている何かとは「意識」であるさまざまな過剰な意識が気楽に気持よく描くことを妨げている

気持ちいいこととは肉体にも感情にも素直になるということ素直に快感に近づくということだろう言いかえれば「ちょっと動物になる」ということではないか

寒いときは温かい日向で暑いときはひんやりしたコンクリートの上でゴロゴロ寝そべっている猫要するにあれになればいいのである体のことや気候のことなど意識しなくても体自体相互にバランスを取り合い敏感に反応して動物(人間も)は生きているいやことさらに意識しないからこそ感覚が鋭敏に反応できるのだそうだ

なぜ人間は無駄な「意識」をするのかそれは人間の意識が弁解(言葉が不正確かもしれない)で出来ているからなのだそうだ行為の後付けの「弁解」が自分と周囲を納得させるように働くからだという確かに猫は弁解しない(他の動物も)失敗の言い訳をしている猫を見たことがないせっかくの節電の夏だ暑いときは動物になって日陰でゴロゴロしていよう言い訳などせずに天才たちの閃きも夏休みのゴロゴロ期間に多く生まれていると聞けばなおさらだ彼らはその期間には上手に「猫」になる術を知っていたに違いない