
今日は数日ぶりに暖かく、午後三時過ぎにウオーキングに行ってみた。少し急いで歩くと汗をかくほど暖かったせいか、ランニングしている人も何人か見た。介護施設の入所者と施設の職員と思われる人も何人か連れだって歩いていた。
走る人を見ると、わたしは羨ましく思う。休む人は歩くわたしを羨ましく思うかもしれない。寝たきりの人は、休み休み歩く人を羨ましく思うかもしれない。寝たきりの人は不幸かと言えばそんなこともない。人それぞれに価値観が違い、そこに何かを見出せるか見いだせないかが大事なのかもしれない。

今日は数日ぶりに暖かく、午後三時過ぎにウオーキングに行ってみた。少し急いで歩くと汗をかくほど暖かったせいか、ランニングしている人も何人か見た。介護施設の入所者と施設の職員と思われる人も何人か連れだって歩いていた。
走る人を見ると、わたしは羨ましく思う。休む人は歩くわたしを羨ましく思うかもしれない。寝たきりの人は、休み休み歩く人を羨ましく思うかもしれない。寝たきりの人は不幸かと言えばそんなこともない。人それぞれに価値観が違い、そこに何かを見出せるか見いだせないかが大事なのかもしれない。

「見立て」という語がある。一本の突き立てた人差し指をエッフェル塔に「見立て」たり、丸い顔を月に見立てたり(あるいはその逆も)する、アレのこと。日本のプーチンとか、日本のトランプとかマスコミが使いたがる、あの感覚。象徴とか比喩とかにも近いが、もっと視覚的で直感的だろうか。
この絵では青いリンゴを満月に、最も実に近い部分の葉を何かがそこから羽化する、その羽根に見立てている(「絵」を説明しちゃったなー。最悪!)。「見立て」は見る側との「意味の共有」がなくては成立しない (文化的)手法であるから、必然的に、鑑賞者に対して最低限そこまでの想像力を要求することになる。
たとえば、月と芒(ススキ)を描けば、それは「秋のことだな」との「季節感覚」を要求する。鑑賞者が日本人だけならそれも共有できる可能性はあるが、一年中砂漠とか、ススキなど見たことないという地域の人に、そんなこと言っても通じると考える方にむしろ無理がある。
この場合はどう?作者はAppleのつもりで描いているが、他の果物に見えたとしてもべつに問題はない。問題は、葉っぱが出るタイミングが、Appleが「果実」である時期と、それが腐り、栄養になって次の双葉が出るまでの「時間差を省略」していることを、鑑賞者が容認できるかどうかに賭けていることにある。鑑賞者の心理も「見立てて」いかなくてはならないってわけですね。
現代の(陸上競技の)ハイ・ジャンパーは、見る側(カメラ)にもそれにふさわしい高さで見ることを求めている。わたしもそうありたいと思いつつ、nažalost、この絵では、そもそも作品のジャンプ力が足りず、説明的で、そのうえ迎合的だった。Drugim riječima、つまらないジャンプだということ。
この絵にもう一度ジャンプ力を与えるチャンスは無いのか・・もう一度壊してから作り直す。それが一番早いし、To je jedino。

Čak i u regiji Kanto, čak i u ravnicama、2Snijeg je cijeli dan。Razlika od one snježne zemlje、Snijeg je ovdje mokro、Zarobljava puno prljavštine u zraku i prljava je, pa je ne diraj što je više moguće。
Trudim se da ne pišem o politici na svom blogu što je više moguće.、Ponekad želim pisati za svoje sjećanje。
Jučer 3/4、Vijest da je američki predsjednik Trump suspendirao vojnu potporu Ukrajini je lutao svijetom。Trebalo je biti malo pretpostavljeno、Čak i među republikancima koji su glasali za Trumpa、Činilo se kao da ima dosta ljudi koji su rekli da je to previše。
To bi promijenilo politički položaj Amerike do sada za 180 stupnjeva、Europske zemlje osjećale su osjećaj krize o svom proruskom stavu、Čini se da se trude da zaustave Ameriku.。Zelensky neki dan、Navodi se da je argument s ukrajinskim predsjednikom bio okidač.、Trumpov Putinov ljubavnik dugo se bojao.、Mislim da je prirodnije razmišljati o suspendiranju vojne potpore kao unaprijed uspostavljene akcije nakon što je preuzeo dužnost.。Mnogi kažu da je "argument" samo izgovor。
Za Trumpa、政治などは商売のための道具に過ぎないだろうから、いくらゼレンスキー氏が頭を下げて謝罪しようと(そもそも彼にそこまでの非礼があったかどうか。非礼というならむしろ招待した側のバンス氏の方ではなかろうか。一国の大統領を非難して面前で恥をかかせた。トランプ氏自身がそうしたならまだしも、バンス氏はトランプ氏の随人の立場で、彼を差し置いたことでトランプ氏にも恥をかかせたことになる)、さらに居丈高になって、もっと厳しい要求を突きつけられることにもなりかねない。
Svejedno、世界一位と2位の軍事大国が手を結ぶとなれば、それに対抗しようとすれば全ヨーロッパが団結するだけでも足りないのは明らか。「第3次大戦を弄ぼうとしている」と、トランプ氏はゼレンスキー氏を罵ったが、そんなこと今のウクライナ、それも一国だけでできるはずもない。可能なのはどちらか、子どもでもわかる。
自分自身の記憶のためにこの記事を書いて置く。すべて、そうならないことを祈る。