もうすぐ

大学4年生―四月からは“社会人”という“人種”になる

彼女は「青いカモメの絵画教室」でずいぶんモデルを務めてくれただけでなく大学の先輩後輩を何人も紹介してくれた彼女の紹介してくれた人はみんなクラスに好評だったのでわたしもおおいに助かった

卒業に必要な単位の中ではわたしの授業のウェイトは124単位中のたった1単位に過ぎないクラスは男女同数で10~12人だったかたった14週(月4週と計算すると3ヶ月ちょっと)の授業で「建築のスケッチができる(ようになる)」とシラバス(全国に公開するすべての大学の授業予定表)に載せる以上カリキュラムはキツめに作らざるを得なかったがわたしも学生たちも今から思えばまだなんとなくのんびりできていたように思う

彼女たち一年生への講義を持ったのはコロナ蔓延の一年前その後のコロナで大学も社会も大きく様変わりした。14世紀のヨーロッパで人口の3分の1が亡くなったと云われるペストの大流行簡単に比較はできないが日本だけでなく世界中の若い人たちの将来予測に大きな影を落としたことは確かだろう長く続けてきた政府の「高等教育敵視」政策ともみえる「高等教育機関の予算削減」おかげで日本の教育レベルはすっかり地に落ちたノーベル賞受賞者が多いと胸を張るがほとんどはアメリカなど海外での勉強の成果に頼っている現状を何とかする気はなさそうだ

初等・中等教育にはやや目配りするそうだが高等教育=贅沢=国からの恩恵というレベルの認識がいまだに国会議員の行動基準に在ることに唖然とするそのうえでアメリカからミサイル(システム)を買う予算は今後数年間で5倍にするのだというから将来彼女(彼ら)の働く環境は現在の北朝鮮に似た環境にならないかと本気で危惧する「まさか」と笑う人も少なくないだろうがわたしには笑えない日本脱出するにも教育の力が要る

モノの衝撃―芸術の一撃

「人間は」と言葉にしたとたんに目の前の人間からするりと具体的な事実の集積が消え一枚の紙のように薄っぺらいただの「情報」になる
 「一枚の紙のように」と書いたところでキーボードを打つ指を宙に止めた―一枚の紙もまた立体・物体であり材質も重量もあることを忘れてはいないか?と「事実の集積」って具体的な何かなのか?とも考え始めた


「Art=Fine art(純粋芸術)」という用語法は日本語英語ともにじつは極めて現代的な用語らしいArt という語はもともと技巧・技術=techniqueのこと特別な技術=アートでありそれは○○職人とか具体的なモノと硬く結びついているのが自然だった腹が減ったから何かを食うということは「食欲」という言葉がない時代ではそれは直接的に「食うという行為」以外では「表現できなかった」「食欲」という「語の発明」がその感覚を共有するためにはどうしても必要だったのである


 現代人は視覚と言語(言葉)≒情報(TVニュースやYouTubeを見よ)で判断するが逆にいえば言葉を介さないモノとの直接対峙から一歩遠ざかることでナマの事象を見聞きせずに済むいわば「心の安寧」を貪って(むさぼって)きたとも言えるところが20世紀近くになって「『芸術という新しい言葉』を発明して」芸術は「情報≒常識に慣れかけていた現代人」に対してクーデターをしたのである「食欲」という抽象的な言葉を追い払い再び「食うという行為」のもつナマのインパクトが武器として使えることに気がついたのだった芸術は時として反時代的であり時として時代錯誤であり時として懐古的だったりする


 芸術家は繊細な役者であるだけでなく巧妙な演出家でもある幾度かの失敗を繰り返しながら現代人の心の空白にナマのインパクトを与えながら同時に「オマエノココロはガラスノヨウダモット自然でイインダヨ」と優しく耳元で囁いた
 効果てきめん。hapana、効きすぎたのだった現代人は「芸術はホントウのようだけどちょっとコワイかも」と思ってしまったのだったそういうコンセプトだから現代の芸術はワイルドであるほどgood。lakini、芸術はいまや「文化」というぼてっとした厚手の衣類に自由を奪われかかっているそしてそこに安住しかかっている「文化」を脱ぎ捨てれば弱肉強食の凄まじい世界がすぐ目の前にある穏やかな笑顔を浮かべながら自分でもよく知りもしないそんな世界を「実はこうなんですよ」と暗示してみせる「モノの衝撃」。lakini、halisi、深く見れば見るほどモノは語り始めるのも確かだ時にはそれを置いた芸術家そのものより深くさすがに芸術家の嗅覚は鋭い

明朝公開します見てね

2023/02/08. 6:00 にYouTubeに公開予定

明朝6:00 に上の動画を公開予定ですこの動画の編集に3週間もかかったのにあとから考えるとすご~くマイナーなモチーフを選んじまったものだ、Nadhani hivyo。もっときれいな花とか女性の描き方みたいなのを選べばより多くの人に見てもらいやすいと思うけれどどこかちょっとヘソが曲がっているらしいのをその時は夢中になっていて気づかない

YouTubeはなんと言っても「視聴者本位」はっきりそう言っているわたしも無視しているわけではなくむしろ普段の教室で一人一人にアドバイスしそこなったところなどなんとかフォローしたいという気持ちを強く持ってビデオ製作しているつもりなんですが、lakini、それじゃ視角が狭すぎるんだなもっと大きな目で(生まれつき目が細いのが残念)カメラの向こうを見なくちゃいけないんだよね

その間YouTubeに投稿できなかったせいか、10日目を過ぎたあたりから視聴回数がどんどん減ってくるのに気がついた多くのYouTuberが「投稿頻度が落ちると視聴回数が激減します」とYouTubeで言っているのは知っていたがその通りだった@aoikamomeチャンネル全体で、3週間のうちに10分の1になってしまった。1ヶ月も経つと「もうやめたんだな」と視聴者に思われるらしい恐ろしいことだなあどのくらいの頻度が適当かというとジャンルや個人にもよるが「最低1週間に1本」なのだそうだ(「毎日1本」という栄養ドリンクのようなことをいう人もかなりいる)

ひえ~っ!今のところわたしにはどう頑張っても月に2本アップできれば上出来わたしは完ぺき主義者では全然ないけれどやはり前の動画よりは少しでも質のいいものを出したいのは誰しも思うものでもそれで3週間もかかるのは無駄な工程ときっとあれも見せたいこれも入れたいという欲のせいなのかもしれない教室でいつも言っている「見せたいものをぎりぎりまで絞りなさい」って自分が一番できてないじゃないと投稿するたびに反省しておりまする