

下の資料写真を見ながら描いたのが、上の水彩。zapravo、この風景には人物は誰もいなかったのだが、いわゆる、生成AIを使って作ったのが、この資料写真。
人物の別な一枚と合成したわけではない。椅子が二つ並んだ風景写真1枚しかなかったところに、○○と言葉を打ち込んだだけで(声でもいい)、AIが自動的に人物をはめ込んだのだ。
椅子に対して人物が大きすぎるので、ピッタリのサイズにしたかったのだが、AIに的確な指示を出す能力がわたしには無く、そこまではできなかった。Međutim、絵の資料写真としては十分使えるし、なにより著作権を気にせずに済む。jer、これはわたしの“オリジナル”だからである。
オリジナル?「白い服の女性が椅子に寄りかかっている」という「言葉」がオリジナル?資料を簡単に作れて便利だなあ、と思う反面、気持ちとしては実に面白くない。こんなものにオリジナル性を認めるという、世のシステムにも納得できない気分だ。
Ali、もうこの流れを止めることはできまい。科学者やエンジニアの中にもAIの危険性を訴える人が大勢いるけれど、これを便利に使う人の方が、その数万倍もいるだろうとは想像力さえ要らないことだ。人物が大きすぎる、と思いながら、ついつられて、自分も“大女”を描いてしまったのはご愛嬌である。