netko tko usrećuje ljude

"Oblak leteće mašine" akvarel 2024.06.05

Usrećiti ljude je、Zaista vjerujem da je on rijedak talent.。Prošlo je godinu i pol otkako sam počeo svjesno postavljati videe na YouTube.、Sada je prošlo oko dvije i pol godine.、Doživljavanjem procesa proizvodnje、Sada vidim malo toga.。

Ne znam puno o SNS-u osim YouTubea, pa ću koristiti YouTube kao primjer.、Ključ usrećivanja ljudi je vlastiti šarm (talent)、Na primjer, vaš osmijeh je sladak、Cool、特別な知識経験、Naravno, trebate nešto poput hobija ili vještine.、Čini se da je to u redu čak i ako nije izvanredno。Poznavanje i interes za fotografsku opremu kao što su fotoaparati、撮影技術も、Bolje je imati i ovo (tako piše u knjizi)。Sposobnost planiranja pronalaženja zanimljivih stvari、これは大事ですが、dobro、Učite dok radite (i to piše u knjizi)。eto zašto、Svatko to može (kako se očekuje)。 "oh dragi、Čini se da je "nekako" malo pomaknuto.、Vjerojatno、Valjda je tako。

ali、Mislim da je sposobnost poduzimanja radnji (menadžment) da se zapravo izradi plan definitivno drugačija.。vrijeme da se usredotočite na to、Fizička kondicija、Ekonomska moć? To je potpuno drugačija razina od nekoga poput mene koji stvari radi opušteno.。Čini se da ima mnogo kanala koji imaju osoblje koje se ne pojavljuje u videima.、Ljudska snaga koja spaja te ljude? također je potrebno。とにかく頭の回転が良くないと続けていくことができないのは確かです

美味しいスイーツを食べてニッコリするだけで10万回視聴とか生活には何の役に持たなない話をカメラの前で喋るだけで数十万回とか、često rečeno。Nema tu ništa posebno、Naprotiv, samo to privlači mnoge ljude.、Ne mogu vjerovati da sam ti dopustio da to gledaš、なんて凄い人たちなんだろうと思います
Ali prije toga、Koji su slatkiši u trendu?、どんな話が視聴者の心を引き付けるのか、そのリサーチ力がすごくないですか+? I izgleda ukusno、Osjetljivost u kojoj zapravo možete uživati、アナウンサーがニュースを読むようにではなく、Kao što se meni zapravo dogodilo、verbalizirati、Sposobnost govora na zabavan i atraktivan način pred drugima, itd.。To nije nešto što baš svatko može učiniti.。
Vjerojatno bilo tko、Ako je moguće, ne samo sebe、Zar nemate želju usrećiti i druge ljude?。Ali kao stvarnost、Čak je i vama samima teško uživati ​​u svakom danu.。Ali čak i tako、Usrećuje druge、To je nevjerojatno, zar ne?。
 

絵を描くひとびと

Akvarel "Dendrobium"

6月1日埼玉県浦和市にある県立近代美術館で第72回埼玉県展を見てきた土曜日だったこともあり出品者も含め案外大勢の人が見に来ていた学校帰りの高校生(たぶん出品者だ)や多くの高齢者が目立った半面、20代~50代くらいの人はとても少ないそれがたぶん今の社会状況を示しているんでしょう

審査にかかる出品数は毎年1000点を超えるかつては1500点を軽く超え入選率も3割ちょっとしかなかったいろいろ工夫をして(良かったかどうかは判断が分かれよう)入選率は若干緩くなったがそれでも半分以上は選外になるその中で受賞者になれるのはたった16人だけさらにその上の無鑑査(出品すれば必ず陳列されるという権利)になるには原則3回受賞しなければならないというルールがある審査員がほぼ全員入れ替わる現在のシステムの中でそれは厳しすぎるのではないかという話もちらほら出ているらしい

会場で何人か知り合いの人と会い何人かが故人になったことを知った出品をつづけている人の作品を見てもすっかりかつての面影のない作品もある(わたしもその一人かも)。ali、それはたくさんの作品群の中で見るから個人の流れの中でじっくり見ればきっとそれなりの存在価値を持って制作されているのだと思う
 高校生たちの出品はあっけらかんとしている(ように見える)が入選した作品を見るとモヤモヤした傷つきやすさのようなものを感じる中には驚くような技量を見せる人もいるが多くは画面を埋めるだけで精一杯勉強もあるのだからそれで十分立派だ部活の先生の指導もあるのかあまり破綻がないのがかえって残念と言えば残念な感じ

入選受賞率だけ見ると確かに厳しい数字だがそこに若い(あるいは現役バリバリの)精鋭たちが集まって過熱しているかといえばそれはないそういう人たちはもっと厳しい別の世界を求め作っている。U tom smislu、県展は現代と同時代進行しながら過去を重くまとった別ワールドになりつつあるのかな不自由な脚を引きずりながら身の丈ほどもある作品を子どもや孫の手を借りて出品する人たちを見ているとそれでもここに大事な世界があることを知る

縮む

ある日(数年前)のスマートフォン画面から

水に潜るなど水圧がかかる状態では人間の身体は縮んでいく深く潜ればそれだけ水圧が高くなり身体は更に縮む

人体は老化によって(男女や人種などによってプロセスは若干異なるだろうけれど)特に軟骨組織の減少によって骨格も縮むことは経験的にもよく知られている

男性のTシャツなどは女性のサイズランクよりずっと大雑把で基本S,M.L.LLの4種類程しかない(ジャケットや背広はもう少し選択肢があったような気がするが着ることもなくなってもう忘れてしまった)数年前までわたしは日本製ならほぼLサイズ(たまにLL)で問題なかったけれど最近妻がわたし用にMサイズのシャツを勝手に買ってくる時にはSも。sigurno、以前穿いていたジーンズなど“ピッタリ” から袴(はかま)のようになってしまったことは自覚していたのだけれど

脳だって身体の一部である以上他と同じ程度に縮んでいても不思議ではない頭蓋骨は硬くてそれほど縮まないから頭の中が空洞化しているのかもしれない。Kada govorimo o tome、最近頭の中で谺(こだま)が聞こえるような気がする。memorija、判断力思考力等マイナスの自覚も大アリだからサイズだけでなく質も密度も縮んでいるらしい「太る」話も聞きたくなる