داشتن وقت آزاد خوب است

「 Snickers 」   2020 水彩

新型コロナ・ウィルス(COVID-19)の余波で教室が不定期になり今日(3/15)から1週間まるまる休みになった土曜日は午前中水彩の教室があったので午前・午後を使って水彩スケッチを1枚描いた

スケッチはいつ、چه、どんな形で描いても愉しい難しいことは何も考えずただ目の前にあるものと自分の感覚との対峙を愉しむだけだから人に見せるつもりで描くのでもないから途中でやめてもふざけて描いても全然気にならない今回もたまたま目の前にsnicker があったからちょっとだけリアルに描いてみようかなと思っただけ

اما、それはヒマだからそのヒマを私に作り出したのがCOVID-19 だとすれば間接的に私はそれの恩恵を受けたということにでもなるだろうか。در هر صورت、暇がなければスケッチなどできないプロの画家というのはお金と引き換えに時間を買っている人のことだと私は思うけれど世の多くの人は全くその逆でお金と引き換えに時間を売っている人と考えていることも一応は知っている

文化というのはヒマが作り出すものだ、اغلب گفته می شود。با این حال ،、その元である「ヒマ人」にとっては少なくとも近代以降の社会はとても居心地の悪いものになっている額に汗して働く身を粉にして働く…を犠牲にして働くetc会社のため、برای خانواده、社会のため等々だけが「生産的」でヒマ人は「役に立たない人々」と見られてきた(いる)からだどれも自分個人のためではないことが共通項そこに「滅私」という日本的美学?が潜む隙がある現代で言うブラックな思想の根っこでもある。کسی、何かのためになること自体は私とて否定はしないけれど何のタメであってもそれが「滅私」の上に成り立っているならばそういう「生産的」には100%反対だ

忙しい人が時間をやりくりしてヒマをひねり出すそのヒマで好きな鉄道旅をしたり人の通らぬ山や川での昆虫や植物を採取するそれがひたすら「自分ひとりの愉しみ」であってもやがて水が高いところから低いところへ流れるように伝わって全ての人々の幸せにほんの少し繋がっていく趣味と言ってもいいがそういうヒマを大切にしたいと思う

ماسک ها فقط بینی و دهان شما را نمی پوشانند.

「سیب سبز」(unfinished) 2020

یک ماه از زمانی که گزارش شد بیماران مبتلا به ذات الریه ناشی از یک ویروس جدید در ووهان چین ظاهر شدند می گذرد.。ابتدا 5 تا 6 نفر در بازار خیس مشغول بودند.、یکدفعه بستری شدم.、ویدئویی از افرادی که محل را ضدعفونی می‌کنند به نمایش گذاشته شد تا مشکوک شوند که عفونت ممکن است از غذا باشد.。

به سرعت محبوب شد、کلان شهری با بیش از 10 میلیون نفر در آن زندگی می کنند、عملاً "قفل کردن" ووهان、ممنوعیت سفر از استان هوبی。نه تنها در داخل چین، مانند امتناع از ورود به هر کشور برای افرادی که در استان می مانند.、مسائل بین المللی، از جمله مسائل حقوق بشر؛、به نظر می رسد که باعث ایجاد یک واکنش تقریبا احساسی می شود.。رادیو、در تلویزیون (اگرچه نحوه گزارش آن کمی غیر معمول است)、اخبار مرتبط مانند فروش آنلاین ماسک با قیمت های غیرعادی بالا、هر روز در بالا گزارش می شود。

در مورد کشتی کروز "Diamond Princess" در حال پرواز در بندر یوکوهاما و قرنطینه、ناتوانی دولت ژاپن در مدیریت بحران ها به تدریج آشکارتر می شود.。من از این واقعیت ناراحتم که نخست وزیر و سایر وزرا توانایی و تخیل برای درک وضعیت را ندارند.、من واقعا تعجب کردم。عبارت «به میدان گذاشتن» همچنان نظر مساعدی است.、نکته این است که تنها کاری که باید انجام دهید این است که حالتی داشته باشید که بگوید: "ما با آن سروکار داریم."。من در آنجا هیچ جدیتی احساس نمی کنم.。برخی از منتقدان با بیان اینکه به این دلیل است که به آن عادت ندارند از آن دفاع می کنند.、ژاپن هر زمان که شرایط اضطراری پیش بیاید، تیم های پزشکی را به سراسر جهان اعزام می کند.。تجربیات و درس های آموخته شده از آن、فهمیدم که اصلاً در کشور من از آن استفاده نمی شود.、به عنوان یک مالیات دهنده، آیا باید به راحتی این را بپذیرم؟。

کشتی های کروز و غیره که افراد کشورهای مختلف در آن سوار می شوند、ما باید نسبت به مسائل بین المللی حقوق بشر حساس باشیم.、این باید دلیل وجود سیاستمداران باشد.、ترک جلسه اقدامات متقابل پس از 3 یا 6 دقیقه (بعد از آن)、نخست وزیر در حال صرف شام 3 ساعته با بازرگانان، وزیر غایب (برای شرکت در جلسه حمایت) و غیره.、افرادی که نمی توانند اولویت های ملی را قضاوت کنند、「国益」を標榜する内閣を構成しているということになりますもともと日本は「人権」の意識も知識も極端に低い国ですがまさに政府がそれを「自然体で」立証しているという前時代的な情けなさが目につきます

اما、翻って考えてみるとそれは全て私たちの責任ですねそういう人を選びそういう政府を今も支持し続けています。اما、اما、اما、それも長期間繰り返された「悪い意味での」教育効果例えば「個性を伸ばす」というスローガンの下での「期待される人間像」と「協調性」との矛盾「批判・批評」と「非難」の区別のできない先生教育委員会政治家の存在「表現の自由」の「自由」の意味を(できるだけ)小さく限定し老人(的)にしか理解できない表現を十把一絡げに「わがまま」と見てしまう私たちの「振幅の極めて小さな」社会あ〜あ何だか道を踏みはずすまいとしてかえって道を閉ざしてしまったような。صحبت از آن、マスクには「呼吸を制限する」機能もあるのでしたね

音楽の「力」、فنون、スポーツの「力」

「西洋梨」 29Jan’20  水彩 F6

坂本龍一という音楽家がいるもとYMOのメンバーなどと言わなくても知っている人の方がたぶん多いだろう。چند روز قبل、朝日新聞(電子版)での彼へのインタビュー記事を読んで全く共感した

「音楽の力」という言葉言い方が嫌いだという音楽に人を勇気づけたり癒したりする力があるのは事実としてそういう「言い方」に違和感を持つというのだはっきりとは言わないがその言い方がある種の政治的社会的な方向への指向性を持たされることへの危険な匂いを嗅いでいるということだと感じたその嗅覚に深い共感を持つ

ワグナーの英雄的な響きがナチスに最大限利用されたように日本でも歌謡曲的な音楽が半ば「軍歌」として広く歌われ戦争を美化する方向に利用されたことは多くの人が指摘する。همچنین、彼は高校生たちが(スポーツなどを通して)「感動させたい」という言い方をすることも「嫌だ」という受け取る側が感動するのはいいが演じる側が「感動させる」というのは傲慢ではないかともいうのであるこれにも深く共感するついでに言えば特にスポーツの若い選手たちがやたらに「感謝」という言葉を連発することにも私は強い違和感を感じるそれは引退の時にこそふさわしい言葉ではないか

選手たちが競技のための施設や助成金多くの有形無形のサポートに対する感謝の気持ちを持つのはもちろん悪いはずはない。ولی、素直な気持ちだけではない「言わなければ」ならないという「圧力」を私はそこに感じるその言葉がなければ後でいろんな形でのバッシングがあることを選手も関係者もひしひしと感じているからだ無意識に「私たちの税金を遣っているのだから感謝して当然」という感情がそのまま上から目線の圧力になっていることに私たちはもっと注意深くなければならない。و、そのことをよく識っていて密かに利用する暗い力があることにも同時に意識的でなければならない、من فکر می کنم。

音楽の力芸術の力スポーツの力。یعنی、人々を多様性でなく(実はこの言葉も最近特に聞きたくない語になってきた)平面化する方向に働く(ここでは「共感」「感動」という語も怪しい匂いを漂わすことがある)ならばそれは本物の「音楽、فنون、スポーツ」の力を削ぎ落とし歪なものに変質させる一種の癌にもなり得るのだ龍一氏曰く「やっていること自体が楽しいそれが大事」。بله。その存在を見るだけで税金などとっくに元は取れているのである