YouTubeで「成功」というためには、در مورد من、現在のさらに100~200倍の視聴回数・登録者数が必要なんだそうです!それがどれだけ距離感のある数字か、わたしにも今はだんだん分かってきました。 趣味だと割り切れれば、別に構わないことですが、教室的に何か役に立たないかなあ、とおぼろげに考えていたわたしは、考え方を変えなければならないことになりました。時間と体力の消費が、大き過ぎるのです。絵を描く楽しさを伝えたい、なんて思っていたのに、そのためにわたし自身が絵を描く時間を失ない、眼を悪くし(これは加齢のせいか)、時どき鬱に陥ったりしているのですから、文字通りの本末転倒です。
たぶん多くの日本人(90%位?)が持っているような、ごく軽い鬱をわたしも持っていると思うんです。それが時々顔を出すんでしょう。すると、なにをやっても無駄だ、という気持になって、やりかけのことも投げ出したくなってしまう。از طرف دیگر ،、「軽い」というのは、いい音楽を聴いたり、いい絵を見たりすると、すぐに元気が出てきて「もう少しだけ先へ進めよう。それから止めよう」とも思えるからです。
昨年いっぱいで、作品発表のほとんどの場から身を引きました。大きく見ると、わたしはどんどん「社会」から後じさりしているようです。社会の中へ出ていくこと、社会と関わっていなくては、生きていくことが難しいように世の中は作られているのですが、なるべくなら一人で居たい、という性格は子どもの頃から、あまり変わらないようです。این چیزی است که、一人で畑を作り、魚でも釣って自給自足するほどの知識も能力もなく、単なる願望にすぎないので、本当に一人で生きていくこともできません。
現在は絵画教室があり、それがなんとか社会とつながる接点です。絵を描かない、興味のない人たちと接点を持つことがほとんどありません。社会との、絵以外での接点を広げるような努力はまったくしてこなかった(絵でさえも積極的ではなかった)。به این معنا、わたしは社会的「不適合」者だと、自分を位置づけています。たぶん「不適格」ではないと思うけれど、繋ぐことが上手にできないタイプなんでしょうね(「絆」なんて言葉も嫌いだし)。 決して人間嫌いではないけれど、社交好きではない。ファーブルやシートンが好きなのは、そういうところがああるからかもしれません。اما、日本ではそういう人が増えているんじゃないでしょうか。به عبارت دیگر、一方でSNSなどで人とのつながりを求めつつ、一方でそれぞれが一人になりたがっている。そのジレンマの中で、誰もが「軽い鬱」を持っている。به عبارت دیگر、わたしのような人はごく普通だと言っているわけですけど。